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宮崎駿監督『風立ちぬ』


風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)
(2013/07/20)
スタジオジブリ

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封切りからすこし日があきましたが、
ようやく時間がとれたので、見てきました。
観客層はさすが、老若男女さまざま。
「こどもが退屈で走り回っていた」というニュースもありましたが、
はたして大丈夫でしょうか。

大正〜昭和を舞台にした、飛行機設計家と薄幸の美女の悲恋。
なるほど、たしかに『崖の上のポニョ』を期待してきた層にとっては、
「え、なんなのこれ」と肩すかしをくらうようなストーリー。

こういう内容の映画が、
昭和20年代につくられていても、おかしくないかもしれません。
堀辰雄原作の実写映画も、実際あるわけですし。
が、あのイマジネーションはアニメでなければ表現できないでしょう。

映画のなかでは、主人公・堀越二郎が見ている現実の世界と、
かれがねむって見る夢、ふとぼんやりと頭にうかんだ妄想などが、
まったくの等価なものとして、えがかれています。
たとえば、
夢のなかでジャンニ・カプローニ(実在の人物)と知己になったり、
設計図にかいた戦闘機が具現化して飛行してみたり。

これがCGを駆使した実写映画だったら、
「これがCGをつかったスペクタクルだー!」と拡声器でさけばんばかりの、
ド派手な飛行機チェイス、板野サーカスばりのバトルがえがかれたでしょう。
が、ねらいはそこではないでしょうから、そんなハッタリはいりません。

「疑似体験も夢も存在する情報は、すべて現実であり幻なんだ。
 どっちにせよ、ひとりの人間が一生のうちに触れる情報なんて、わずかなもんさ」

押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』より、バトーのセリフ。
これを宮崎駿監督風に表現すると、こういうことなのかな、と。

「大切なのはセンス。技術はあとからついてくる」
「君の10年を、力を尽くして生きなさい」

夢のなかで会ったカプローニからのことばが、
そのつど二郎の人生に、おおきな影響をあたえていきます。
ことばだけではなく、カプローニがつくった/つくろうとしている、
あたらしいセンスや技術をつかった飛行機そのものを見ることによって、
二郎は、じぶんがつくりたい飛行機を、現実にちかづけていくことになります。
(「サバの骨」がヒントになる、というのが、なんともかれらしいというか)

明確に夢や幻想だと観客に意識させるなら、
たとえばセピア調にするとか、それこそCGで区別するとか、
いろいろやりようがあるでしょうが、現実とおなじ手法のえがきかたです。
どっちであっても、それは二郎が見ているものであることにかわりはないから。

身もフタもないことをいえば、宮崎監督が、
「オレが好きな飛行機を、オレの好きなように飛ばしたい!」
という欲求をみたすために、
「夢のなかだからなんでもあり」なえがきかたにした、のかもしれません。
そういう意味では、宮崎監督が「パンツを完全に下ろした」作品なのかも。
(パンツの話は、押井監督がいってたんだったかなあ?)
とはいえ、それをおもしろく見られるようにしているのは、さすがです。

そう、あくまでも二郎が見た世界、体験した戦争、なので、
だいすきな飛行機については、これでもか!とこまかくえがかれますが、
たとえば興味のない会議のシーンは、テキトーな描写ですっとばされ、
(「お前、聞いてなかったろ?」「はい」のやりとりに、ついふきだしました)
かれが開発した戦闘機が、実際の戦場でたたかうシーンもありません。
(その悲惨さを知るのは、ラストシーン、幻想の、ゼロ戦の墓場においてでした)

そのひとが、はたして世界をどう見ているのか。
それこそ『マルコヴィッチの穴』のように頭にはいらないとわかりませんが、
ここでは、宮崎監督というフィルターをとおして、
二郎が見ていた世界を、観客のぼくたちが追体験していることになります。

戦争というひとつの「事実」を、だれの視点から見るかによって、
まったくことなる「真実」が、それぞれの立場においてうまれます。
ここでは、ゼロ戦を設計した人物の視点から見た、ということ。

戦意高揚映画では当然ないし、わかりやすい反戦映画でもありません。
表面をなぞればただのメロドラマですが、
おのれのもてる能力を精一杯つくして生きた人物には、
世界がこう見えているのか、と、たいへん豊穣な体験ができる2時間でした。

ですから、
ただ宮崎監督のインタビューの発言をきいて(あるいはネットで見て)、
キーワード検索したかのように言葉じりをとらえて、
ああだこうだと決まり文句でグチグチ批判をたれるのではなく、
まずは2時間、ドッシリと腰をおろして、映画を体験してみてはどうでしょうか。

つまらないなら、つまらないでいいでしょうし。
あるいは、数年たって「そういうことだったのか」と気づくかもしれませんし。
グッズ展開できるキャラはありませんが(読売・日テレ的にはキツい?)、
あの歴史を、いまくりかえし、くりかえそうとしている、このときに、
見ておいて損はないとおもうのです。

「風は吹いているか?」
「はい」
「では生きねばならぬ」

映画の結末は、ハッピーエンドではありません。
それでも、生きていかなければならない。
この時代も、そしていまも。



以下、おもいつくままいろいろ。

声優は、庵野秀明監督以外は、だれがでるかしらないままで見ました。
あとでパンフで見て、ああこのひとが、とわかった次第。
とくに、役者さんの顔がうかんでちょっと、ということはありませんでした。

物議をかもした庵野監督の声ですが、
なるほどこれは、糸井重里〜立花隆につらなる系譜ですね。
金曜ロードSHOW!の特集で見た、庵野監督起用決定のときの、
主要スタッフの「え〜…」「それはないだろ…」の顔がわすれられませんが、
イヤ、ぼくはわるくないとおもいますよ。

庵野監督、ふつうのしゃべるところはともかくとして、
ささやくような声や、感情をこらえてしぼりだす声がよかったのです。
菜穂子の耳もとで、そっと「愛してる」とささやいたときなんかもう!
それと、ラストシーンのセリフもグッときました。

そうそう、けっこうラブシーンが濃厚ですよね。
初夜のシーンなんて、実際の行為はえがいてないのに、おもわずいきをのみます。
二郎と菜穂子のキスも、くりかえし、ハッキリと見せていますし。

寝床の菜穂子と、机で仕事中の二郎が、手をつなぐシーンがいいですね。
「タバコ吸いたいんだけど、ちょっとだけ手、はなしちゃダメ?」
「ダメ」
うわあ、なんだこれ!なにこの胸キュンは!だれかたすけてー!
(や、実際はヘヴィな展開なのはわかってますけれども…)

とはいえ、いちばん感情移入したのは、じつは二郎の上司である黒川。
初対面のときは、ちょっとツンケンした感じだったのが、
一緒に仕事をしていくなかで、内に秘めたアツいところが見えてきて、
「この人の命令ならききたいな」とまで、おもわせてくれました。

ほかのだれが涙をながすところでもなく、
かれが落涙した瞬間に、ぼくもはじめてもらい泣きしてしまいました。
演じたのは、『もののけ姫』にも出演した、西村雅彦。すばらしい。

今回の音楽、いつものように久石譲作曲なのですが、
たびたびながれてくるテーマ曲が、
「あれ?これってChoro Clubの曲?」とおもってしまうような感じ。
イタリアの話もでてくるものだから、
イタリア→ヴェネツィア→『ARIA』つながりなのか?なんて。

そして名曲、荒井由実「ひこうき雲」。
歌詞の内容のリンクももちろんですが、
なんといっても、70年代最強のスタジオ・ミュージシャンチームである、
キャラメル・ママ(細野晴臣・鈴木茂・林立夫・松任谷正隆)の名演奏。
これを機に、この時代の音楽に興味をもつひとがふえてくれたら。

なかなかひとまとめに感想がかける映画では、さすがにないですね。
なにかおもいついたら、また追記するかもです。
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