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こうの文代『この世界の片隅に(下)』


この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
(2009/04/28)
こうの 史代

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日本テレビのドラマ版を見ました。
コミックス3巻分を2時間半にまとめるなら、こうなってしまうのでしょうね。
マンガ表現の実験的な要素はことごとくカット。
あのユーモアを実写で活かすのは、たしかにむずかしいかもしれません。

似て非なるかたちになっていたのが、昭和20年8月15日、玉音放送のシーン。
ラジオからながれる、はじめてきく天皇陛下の声。
おかしな抑揚だし、ノイズがはいるしで、ちょっとなにいってるのかわからないです…。
察するに、これは日本が負けたということだろうと。

家族や近所のひとたちとともに放送をきいた、すず。
ほかのひとたちは「新型爆弾も落ちたし」「ソ連も参戦したし」と、うけいれモード。
しかし、すずは、

(p92)
そんなん覚悟のうえじゃないんかね?
最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?
いまここへまだ五人も居るのに!
まだ左手も両足も残っとるのに!
うちはこんなん納得出来ん!!!


これが、軍人兵士がいったセリフなら「ああ、そうおもうよね」となるでしょう。
一所懸命に銃後をまもっていた女性がいっても、ながれとしてすんなりいきます。
すずがいうからこそ。
上巻・中巻と、こころに想いをかかえながらも、つつがなく日々をくらしてきた、
すずがいうからこそ、重くのしかかってくるセリフなのです。

ギャグとシリアスが絶妙にブレンドされた、それまでの生活。
正直、すずさんは萌えキャラとして十分やっていける素質があるとおもいます。
物腰はやわらかいし、ドジっ娘でもあるし、ほくろがセクシーだし、そして人妻。
ツボつきすぎというか、要素もちすぎというか。

それを通過したうえでの、右手喪失、姪・晴美ちゃんの死、原爆投下、そして敗戦。
基本のほほん、ほややんなすずであっても、だからこそなのか、
この戦争が日本の勝利でおわることを、かたく信じていた。
イヤちがう、負けるにしても、女子供最後のひとりになるまでたたかいぬくのだと。

そうでなければ、右手がなくなった理由がつかない。
晴美ちゃんが死んだ理由がつかない。
(放送後、かくれて「…晴美…」と泣きくずれる晴美の母、径子のすがたが見えます)

なにより、日本は悪い国とたたかう正義の国ではなかったのか。
そうおしえてきたのではなかったのか。
そう信じさせてきたのではなかったのか。

(p93~94)
飛び去ってゆく
この国から正義が飛び去ってゆく


風とともに。
秋のおとずれをしめす、トンボのむれとともに。
日本がその手にもっていた(ということにしていたはずの)正義が飛んでいく。
あまりにもあっさりと。

このセリフがドラマ版ではカットされていました。なぜに。

(p95)
…ああ
暴力で従えとったいう事か
じゃけえ暴力に屈するいう事かね
それがこの国の正体かね

うちも知らんまま死にたかったなあ…


それが建前であったとしても、ポーズであったとしても、
正義のスローガンをかかげ、その目的のためにたたかっていたはずなのに。
臣民のきもちはわかるが、これ以上犠牲者を出したくないから、戦争をやめると?
そうなることがわかったうえで、戦争してたんじゃなかったの?
「進め一億火の玉だ」って、そのつもりじゃなかったの?

おエラいさんが言ったこととやってることとの乖離。
66年前の昔話でおわることではありません。
お題目がかわっただけで、なされていることはなにもかわっていません。

今回は8月15日にフォーカスをあてて書きましたが、
本作のキモは「戦時の生活がだらだら続く様子」(あとがき)です。
当時のこまかな生活風俗・習慣を、マンガの枠をはみ出した手法でえがいています。
ぼくはすずさん推しですが、リンさんのお客になりたいひとも、ぜひご一読を。

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