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tsukao『うたかた まんがで読む谷川俊太郎』


うたかた ~まんがで読む谷川俊太郎    62484‐21うたかた ~まんがで読む谷川俊太郎 62484‐21
(2012/01/31)
tsukao

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本作のまえがきで、
「教科書に、谷川俊太郎さんの詩が載らなくなって久しい」とありますが、ホントに?
ぼくは、中学校か高校かわすれましたが、
国語の教科書で「朝のリレー」をよんでいるはずです。
タイトルはしらなくても、詩そのものはきいたことがあるのではないでしょうか。

(p108〜109)
カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

(中略)
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ


それから「二十億光年の孤独」も。
最初にこのタイトルをみたときは、わけもわからず、つよく惹かれたものです。
これらの詩を、マンガのかたちで「翻訳」したのが本作です。
なるほど、こういうやりかたがあったのか、とおどろきました。
抽象的、普遍的な詩の世界を、具体的、パーソナルな舞台にもってくるという。

たとえば「二十億光年の孤独」は、とあるカップルが主役。
デザイン事務所ではたらくカナが、じぶんのしごとのはなしをしても、
カレシのタケルは、パソコンのモニタのまえで、じぶんの世界にはいったまま。
(山下達郎〜フリッパーズ・ギターのラインがすきらしい。なるほどそういう…)

(p6)
B型ひとりっこの彼は ひとりの世界を楽しめる
私とか 本当はいらないんだろうな 自己完結してるもん
コトバが通じない 空気読むとかない
コイツは宇宙から来た火星人なんじゃなかろーか


原作の詩では、こういうふうにかかれています。

(p14)
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ


なにをかんがえているのかわからないカレシのことを、火星人のようだと。
あなたとつながっているという、なにかたしかなものがないと、
いっしょにいるのに、まるで二十億光年のなかでひとりぼっちのようだと。

この自分勝手なカレシを、一発はったおしてやりたくなるのは、
正義感とかいうことではなく、むしろ同族嫌悪のようにも感じてしまいます。
ええ、じぶんの世界にドップリとなります、ぼくも。
こっちが集中してひたっているときに、よこからはなしかけられると、ついイラッと。

イヤでもさー、ちょっとはカノジョのはなしもきいてあげなよー。
のみならず、不安にさせたままわかれたあとで、
カナの誕生日に店を予約したからと電話して、一転してよろこばせるとかさー、
「やっぱりカレとわかれられないの♡」っておもわせる、あざといテクじゃんよー。
…すみません、ついひとりもののグチが…。

一遍の詩から、さまざまなイメージがわきあがってくるものですが、
そのイメージのひとつとしての、このラブストーリー。
この年代のおんなのひとには、この詩がこうみえるんですねえ。

で、そのカレシ、最後の作品となる「朝のリレー」では、
冒頭でカナとケンカわかれしたことがしめされます。
ざま…ゲフンゲフン。

ひとりの朝をむかえ、ちかくの公園に散歩にでるカナ。
あさ、マラソンをするひともすくなくなり、さらに孤独感がつのります。
(原発事故のあと、へったのだそう。避難していった?)

カナがむかえおわった朝は、その後、ヨーロッパ旅行中の冬子へリレーされます。
カメラマンの冬子は、たびしてまわった現地の写真をとっていき、
その写真のかずかずが、本作にも収録されています。
…というのも、作者がプロの写真家でもあるからです。
(作者のホームページは、こちら

ページをめくるたびに、マンガから写真へ、写真からマンガへ。
冒頭の「こういうやりかたがあったのか」というのは、このことでした。
ひとりの人物が、世界をみたときに表出するイメージは、決してひとつじゃない。
ことなる手法をくみあわせて、じぶんのみた世界をあらわしていく作品。
おもしろいですね、マンガにはまだこういう手段もあるわけです。

(p89〜91)
知ってるよ
世界は大変なことでいっぱいで パンク寸前で ぐちゃぐちゃで
でもそれでも
愛すべき瞬間はやってくる


こもれびからのぞく、あさの日のひかり。
冬子がアムステルダムでおとずれた、あの家にすんでいた少女も、
まどごしにそっとこのひかりをみていたのでしょう。
ナチスの捜索からのがれ、ひっそりと身をかくしていた、あの部屋で。

(p109)
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


みしらぬだれかがむかえた朝を、こんどはぼくがむかえ、そしてだれかにわたす。
ただの惑星の自転を、こんなにステキなことだとおもえるのは、
そういうみかたを提示してくれる、本作のおかげかもしれません。
孤独だけど、孤独じゃない。
朝の公園をあるいてさっていくカナも、きっとそう感じとったのでしょう。

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