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吉田戦車『まんが親』/伊藤理佐『おかあさんの扉』


まんが親 1 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)まんが親 1 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
(2011/11/30)
吉田 戦車

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おかあさんの扉 (オレンジページムック)おかあさんの扉 (オレンジページムック)
(2012/02/17)
伊藤理佐

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マンガ家による子そだてコミックエッセイは、やまのように存在しますが、
父親と母親がふたりともマンガ家で、両者の視点からそれぞれマンガをかく、
というのは、なかなか例がありません。
このふたり以外には、重野なおき・藤島じゅん夫妻くらいでしょうか。
『オチつく家族』『よんこまのこ』で共作)

吉田・伊藤夫妻の作品は、それぞれ別の雑誌での連載ですが、
(吉田:ビッグコミックオリジナル、伊藤:オレンジページ)
ふたつをよみくらべてみると、共通するエピソードがいくつかあり、
おなじできごとが、父親と母親でどうみえているのか、比較がおもしろいです。

たとえば、庭で水をまく伊藤さんのはなし。
UV対策のために全身フル装備+携帯蚊とり線香といういでたち。
どこの養蜂家かというすがたで、パッと見どこのだれやら。

(『まんが親』p51)
うちの庭に水をまいているからには妻だと思うんだが…
(知らない人だったら困るな…)

(むすめに)お前ならわかるだろう? 母か? あれは母か?

(『おかあさんの扉』p10)
庭の水やり時にしていた格好があるのですが
これはさすがに おかあさんじゃないだろう?

(「にこっ」とわらうむすめ)
これも “わたし” かあ…!!

こうした日常のこまごましたことが、
当事者はたいへんでもありましょうが、こちらにはキラキラしてみえます。
「ああ、このひとたちは、おなじ時間をいきているんだなあ」と。
ひとりぐらしがながい人間からの、ただのあこがれかもしれませんが。
あと、ひとり身では気づかないあれやこれやも。

(『おかあさんの扉』p51)
赤ン坊がいると…
「何ヶ月ですかー」「髪の毛フサフサー」「うちのはハゲててー」
「何キロですか」「わあ大きいなあ」
知らない人とアイサツすることが増えます


共通の話題でもりあがる、ということだけではなくて、
おなじ戦場をいきぬく同士、という感じなのかも?
ただ、これがオットのひとひとりだと、事情がちがうようで。
『おかあさんの扉』での、オットのひとのコラムより。

(『おかあさんの扉』p55)
子連れの伊藤に声をかける人は多いらしいのに、私の時はめったにない。
偉いお父さんだな、と思ってくださっても、その姿をどこか哀れに思うような気風が、
まだまだ日本という国にはあるということかもしれない。


平日のひるまに、オトコがあかんぼうをつれて散歩している、という光景が、
一般には違和感をもってとらえられている、その傾向がつよいのではないか、と。
ふうむ、男女同権がさけばれていても、こういう意識はなかなかかわらないのかしらん。

オットのひともツマのひとも、こそだてを日々精一杯やっているのですが、
おどろくのは、あわただしい日常のなかで、じぶんじしんを客観的にみられること。
ふと感じとったじぶんの変化を、ごまかさずにすくいとり、記録しているということ。

(『まんが親』p45)
「クロうるせえ!」
はっ!
…ネコをうとましく思うこの感情は「継子いじめ」…
日頃、心を痛めている「虐待」の芽が、自分の中にもあった!
…背筋が寒くなった。


(『おかあさんの扉』p58)
赤ン坊がいるとけっこう人と接近します
こんな時…
この人とこんなに近づくことはないだろうなあ…と、思う…
父や母ともけっこう近づいたことがないことに気付く…
けっこうドキッとします…


単に父性・母性がめざめたというひとことでまとめられるものではなく、
それまでのじぶんとの、そとがわからはきづかない微妙なちがい。
カリカチュアライズされていながらも、こういうリアリティにこちらもドキッとします。

さて、ふたりが連載しているさなかに、
東日本大震災・東京電力福島第一原発事故がおきました。
おおくのページをさいているわけではありませんが、
そのことにふれた箇所は、やはりグッとおもくひびいてきます。
ふたたびオットのひとのコラム。

(『おかあさんの扉』p64)
この時期、私も伊藤も自分たちの不安や悲しみや憤りを作品に出さないように懸命だった。
明るくさらりと描けているところがプロの仕事である、と伊藤理佐を誉めたい。
家の中では「どこかに逃げるべきでは」「何を信じていいのか」等々、
日々口論に近い会話をかわしていたのだった。

「おかあさん」である伊藤は、当然ながら私よりも神経質に放射能を恐れている。
花見の時はそれほどでもなかったが、その後さまざまな情報を仕入れ
(トンデモ情報まで)急激に過敏になっていった。
「花見で子供に余計な被曝をさせてしまったかも……」という後悔は今もあるだろう。


アレコレの理由でふたりをせめることはかんたんです。
でも、「亡くなった方々を悼む義務」として「今年だけの桜」をたのしんだふたりを、
おもてにはださないけれど、苦悩や葛藤をかかえつづけているふたりを、
安全圏(といえるのか、ここが…)からえらそうにどうこういうことは、
ぼくにはできません。

(『まんが親』p93)
子供をしっかりでかくして、
いつか必ず復興した故郷の海を見せにいく!
そう心に誓った。


おふたりの作品が、たくさんのひとを、こころからたのしませられますように。
それが、毎日をいきていく活力になりますように。

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