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中条省平『クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男』


クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男 (ちくま文庫)クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男 (ちくま文庫)
(2007/12/10)
中条 省平

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今週のWOWOWは、クリント・イーストウッド特集。
セルジオ・レオーネ監督のドル三部作、『ダーティ・ハリー』5作品(新規吹替も!)、
ほか、監督作品あれこれを放映しています。
この特集を補完するねらいで、書棚からこの本をひっぱりだしてきました。

元版は2001年刊行。
『スペース・カウボーイ』までの作品群について詳細にかたったものですが、
2007年の文庫版では、これに硫黄島2部作までの作品をとりあげた章を追加。
タイトルは「二十一世紀のイーストウッドは十字架の彼方に」。

そう、(とくに近年の)イーストウッド作品の特徴といえるのが、この十字架。
以下、2000年代の作品について。
順番に『ブラッド・ワーク』『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』。

(p259)
イーストウッド扮するマッケイレブは、
サイコ殺人が起こった夜の現場に車で乗りつける。
すると、車から降りた彼の背後の暗闇に、
蒼白いネオンの十字架が浮かびあがるのである。


(p269)
妻から自分の殺人を肯定する言葉を聞かされたジミーは、妻を抱くために裸になる。
その背中には、剣のように鋭い十字架の刺青が刻みこまれているのだ。
むろん、この細部は原作小説にはない。


(p276)
喉に呼吸器を穿たれ、闇のなかのベッドに横たわるマギーに
キャメラが徐々に近づいていく。
すると、マギーの胸には、それまで衣服に隠されていた金の十字架が露わになって、
荒い呼吸にあわせてゆっくりと上下に揺れているのだ。
マギーもまた十字架を背負う人間だった。


さらに、文庫版の刊行のあとに発表された作品においてもまた十字架が。
とくに強烈な印象をのこすのが『グラン・トリノ』です。
クライマックス、隣人をギャングたちからまもるために、
ひとりでかれらのもとにむかうコワルスキー(イーストウッド)。
ギャングたちに銃をつきつけられながら、そっとふところに手をいれ…。
瞬間、一斉掃射をうけて、バッタリとあおむけにたおれます。
両手をおおきくひろげた、まさに十字架の態勢で。

単純に、敬虔なクリスチャンというわけでも、
聖書絶対主義というわけでもないでしょう。
かといって「キリスト教なんてクソくらえ」というのも、ちょっとちがうような。

イーストウッド作品において、十字架をせおう人間は、
それぞれなにごとかになやみ、もがき、くるしみ、
そのなかから、じぶんなりのこたえをみつけだそうとしています。
「いのることで神さまがみちびいてくれる」とはかんがえません。
じぶんのみちをみつけだすのは、あくまでもじぶん自身。

『ミリオンダラー・ベイビー』より。
下半身不随となったマギーは、
フランキー(イーストウッド)に「私を殺して」とうったえかけます。
かのじょのねがいにくるしむフランキーは、なじみの神父のもとへ。

「わかっているんだ、彼女に手を貸すことは大罪だと。
 でも、彼女を生かすことは殺すことだ。
 この矛盾をどう解決すればいい?」
「何もせずに身を引き、すべてを神にお任せしなさい」
「彼女は神にじゃなく、オレに助けを求めてるんだ」


『グラン・トリノ』では、コワルスキーが前述の行動にでる直前、
わかい神父(ホントにたよりなさそう)をたずねて、めずらしく懺悔をします。
が、その内容は、
妻にかくれてほかの女性にキスしたとか、ボートをうって金にしたとか。
そして、2人のむすことのあいだに溝ができていることについて。
「報復する気なのか?」と心配する神父をよそに、さっさとでていくコワルスキー。

「心に安らぎを」
「オレの心は安らいでるさ」


かれらは、神さまのあしもとにひざまづき、みちびきを乞うのではなく、
じぶんのかんがえをきいてもらう、対等なあいてとして神さまをみている。
あくまでも私見ですが、そういう感じをうけます。
クリスチャンからすれば「なんとおこがましい!」といわれるかもですが。

こういうのも、イーストウッド作品をみるうえでの、きりくちのひとつです。
ほかにもさまざまなみかたでたのしむことができるのが、
イーストウッド作品をながくみつづけている理由でもあります。

(p18)
これから書かれるのは、
アメリカ映画の黄金時代から追放された男が、
自力でアメリカ映画の歴史を再構成してゆく物語である。


スタッフ、キャスト、たくさんの才能のちからをあつめながらも、
また、劇中で監督の存在をつよく主張するでもないのに、
最終的には「イーストウッド作品」としかいいようのない映画をつくる人物。
80歳をこえて、これからさらにどんな映画をみせてくれるのでしょうか。

それにしても。
なぜ愛媛県で『J・エドガー』が上映されなかったんだ!まったく!

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