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蜷川実花監督『ヘルタースケルター』


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(2012/07/06)
岡崎京子、タイガー・リリィ パートナーズ 他

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朝日新聞7月14日|沢尻エリカさん「魂削った」新作映画で舞台あいさつ

あ、芸能活動復帰したんですね。
体調がもどったようでなにより。
「りりこ全部が自分とシンクロしていた」との言、さもありなん。
これほどの役柄を演じてしまったら、
もうほかのドラマで演技をしても、ものたりなくなってしまうのでは。

冒頭、整形手術をおえ全身の包帯をといていく、りりこ(沢尻エリカ)。
いきなりのバストトップ。
ヌードを期待する観客(マスコミ?)へのじらしもへったくれもなく。
「この物語の本質はそういうことじゃない」ということなのか。

つづけざまに、楽屋にきた南部(窪塚洋介)とのセックス。
りりこを鏡にむかわせ、バックから挿入し、みみもとで
「きみはぼくだけのものだ…ぼくだけの…」とささやく南部。
腰をふるオトコを、りりこはあえぎごえをだしながらも、
ひややかな、さめた目でみています。

そこなしのくらやみにむかって、
螺旋階段をひたすらおちつづけていくじぶん自身を、
そとがわから俯瞰的にながめているような。

いわゆる、性的に過激なシーンというのは、
本作ではそこかしこにでてきます。
楽屋のシーンの直後に、映画のプロデューサー(哀川翔)と枕営業。
(正常位中、オトコのせなかにまわした腕時計で時間をチェック…)
マネージャー羽田(寺島しのぶ)の彼氏(綾野剛)を誘惑し、
かのじょのめのまえでセックス。などなど。

映画評では「女優として一皮むけた」となるのでしょうが、
案外、演者のがわとしては、そのへんはどうでもいいことかも。
パンフでの沢尻エリカインタビュー。

「きっと大変な現場になるだろうという覚悟はしていました。
 それは決して重いシーンが多いことではなく、
 ましてや濡れ場で脱ぐ脱がないということでもありません。
 自分のお芝居がどこまで振り切れて、極限まで出せるかということ」


全身整形のパーフェクトボディを維持するために、
りりこは美容クリニックから処方されたクスリをのみつづけます。
しかし、たえず大衆によって消費されつづけるりりこは、
どれだけクスリをのんでも、どれだけセックスをしても、
みたされることがありません。からだの外側も内側も。
だから、さらに過激なことに手をだす。そしてまたさらに。
グルグルころがりおちていく、ヘルタースケルター。

映画のキャッチコピーは「見たいものを、見せてあげる」。
りりこ=大衆の欲望を託された依代、だとするならば、
かのじょが見たいものがすなわち、ぼくたちが見たいもの。
かのじょがしたいことがすなわち、ぼくたちがしたいこと。

かおもからだもキレイになりたい。
有名になってチヤホヤされたい。
金もちのイケメンとセックスしたい。
ドラッグできもちよくなりたい。
気にいらないヤツはイタイ目にあわせてやりたい。

そうした大衆の身勝手な欲望を、
テレビで、雑誌で、スクリーンで、あるいはそのうらがわで、
じぶんがかわりにはたしているのだと。
原作ではこういうセリフ/モノローグが。

(p119)
恋に恋するのと人を愛することってちがうと思うしィ〜
(ホラ こういうのって聞きたいでしょ?)
恋を失うことも 大切な自分の一部をつくると思うんです
(これはあたしが言ってんじゃない あんた達が言わせてんのよ)


りりこが劇中でみせるさまざまな言動が、
どれも魅惑的でありながら、どこかしっくりこないような、
かのじょの本心・本意ではない感じをうけるのは、そのためでしょうか。
それは、沢尻エリカの演技がヘタという意味ではまったくなく、
むしろ大衆の欲望を、みごとに憑依させているからこそ、
それにかくれて、かのじょ自身の本心はうつしだされないというか。

メディアにのるときのすがたのみならず、
たとえばセックスしているときであったり、
スタッフにあたりちらしたり、なきわめいたりするときでさえも、
「なにものかが、かのじょにそうさせている」感をうけます。
「こういうシーンでは、こうあってほしい」というような。

唯一、りりこの本心らしきものにふれられそうだったのが、
酔って帰宅し、部屋をマネージャー羽田がかたづけているとき、
鏡台のまえにすわって、ポツリポツリとつぶやきはじめるシーン。

「羽田ちゃん、好きな人いるの?」
「え?いやあ…」
「いるんだ…いいなあ…
 あたしには好きな人も愛してくれる人もいやしない」
「なに言ってるんですか、みんなりりこさんに夢中ですよ。
 何百人も、何千人も、何万人も」
「(額のアザをみて)あたしが売りものにならなくなったら、
 みんなあたしを捨てて、離れていってしまうわ…」

ここで羽田は「そんなことないですよ〜」とあかるくかえします。
じぶんがこの業界にはいったのは、
窓辺でタバコをすうりりこの姿が、絵のように美しかったからだと。
もし、ここでの返事がちがうものだったなら。
この一瞬のすれちがいが、
ヘルタースケルターのいきおいをグッと加速させてしまったのでは。

そんなりりこたちのシッチャカメッチャカな展開にもかかわらず、
大衆は、それすらも消費の対象としてしゃぶりつくし、
そしてまたつぎの依代をもとめて、都市のなかをさまよいつづけます。
映画の最初も最後も、都市を生きる女子高生たちは、
「アレいいよね〜」「アレほしい〜」「アレ超ヤバくない〜」と。

映画がおわったとき、うしろの座席にすわっていた女子グループが、
最初に発した感想は「ヤバいよね〜」でした。
ぼくはまだ映画のなかにいたのでしょうか。
それとも最初から、ぼくは現実にいきてなどいなかったのでしょうか。

ああ、それにつけてもエンディング。
なぜにビートルズ「ヘルタースケルター」じゃなかったのか!
イヤ、本家の音源をつかうのが99%ムリなのはわかっています。
せめて『アイ・アム・サム』みたいに、カバー版にするとか。
あのラストシーンで、あの爆音ギターがきてほしかったのに。
2012年最大の映画ならぬ事件の、ただひとつの瑕疵。

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