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李相日監督『許されざる者』


許されざる者 (幻冬舎文庫)許されざる者 (幻冬舎文庫)
(2013/06/28)
司城 志朗

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クリント・イーストウッド監督のオリジナル版は見なおさずに劇場へ。
これまでに何度もくりかえし見てきた作品ですから、
あらすじやキャラクターは、すべてあたまのなかにたたきこまれています。
それでも、なるたけオリジナル版の印象をとりはらって、
未知の作品を見るような姿勢で、新鮮にたのしみたかった、というところです。

基本的なストーリーは、オリジナル版そのまま。
ウィリアム・マニー=十兵衛(渡辺謙)に賞金首の話をもちかけてくるのが、
ザ・スコフィールド・キッド=五郎(柳楽優弥)ではなく、
ネッド・ローガン=金吾(柄本明)にかわってはいましたが。

そう、柳楽優弥!
ぼくは事前情報を極力シャットアウトしていたので、
渡辺謙、柄本明、佐藤浩市の3人しか役者をしらない状態で見ていました。
「あのアイヌ青年、いい役者だなあ」とうなっていたのですが、
まさか柳楽優弥だったとは!エンドロールでびっくり。

帰宅してから、きのうのニコニコで生放送された、
「渡辺謙 ニコニコ初降臨 映画『許されざる者』公開記念特番」をTS試聴。
テイクを何回もしぶとくかさねるスタイルを、トークでもツッコまれる李相日監督。

うえむらちか「監督は(テイク)1回目じゃなかなかOKを出さないとお聞きしたんですが…」
李相日監督「いや、出す時は出しますよ」
渡辺謙「アハハハ(笑)」
うえむら「ホントですか?」
李監督「あの…少ないですけどね」
うえむら「同じシーンを何度も何度も…」
李監督「もっとよくなるって思っちゃうんですよね。『次は自分が思ってたもの以上がくるぞ』と思っちゃうと、トップがどこなのかを見極めたいというか」


とくに柳楽優弥の演技は、何回も何回もリテイクしたそうです。
しかし、かれのラストカットは「1回で終わりました」と。

はじめて人を殺し、その記憶を酒でごまかそうとする五郎。
金吾が署長(佐藤浩市)に殺されたと知り、復讐にむかう十兵衛にむかって、
「オレはあんたみたいにはなれないし…なりたくもない…」と、
恐れ/畏れ、あきらめがないまぜになった、複雑な表情を見せる、そのアップ。

「ああ、いい顔だ」
ヒゲと長髪(ほぼ自前!)でボサボサの、つかれきったその顔を、
ホントにすばらしいとおもいました。
本人いわく「撮影中は毎回怒られっぱなしで、本当に恐怖の日々」だったそう。
でもその結果が、このグッとくるカットにつながったのですね。

あ、そうそう。基本的なストーリーはそのままと書きましたが、
こまかなところは日本版の演出として、変えているのもあります。

たとえば、雨と熱でフラフラの十兵衛を署長がうちのめすシーン。
オリジナルで、マニーがつかもうとした酒瓶をとりはらうのはおなじですが、
さらにそこから酒瓶を割って、
「悪党には目印が必要だな」と、切っ先を十兵衛の右ほほにギィィ…。
さらには、捕縛した金吾への折檻に、焼きゴテをジュウウ…。

また、保安官=署長が、自分の家を自分で建てる描写がありません。
李監督によると、建てているシーンは撮影したのですが、すべてカットしたと。
一国一城の主というのは、なるほどアメリカンドリームの体現ですが、
日本版では、そこで観客が、署長とじぶんをかさねあわさないようにしている?
とはいえ、単純な、典型的な悪役でないのは、もちろんですが。

それから、署長が北大路(國村隼)に銃をわたしていうセリフ、
「弾が気になるか?どうだったかな。オレにもわからん」は、
『ダーティ・ハリー』の冒頭、ハリーと銀行強盗とのやりとりっぽい感じ。
登場人物が「ミョンミョン…」と口琴を演奏するのは、
『夕陽のガンマン』などの、エンニオ・モリコーネ音楽を彷彿とさせますし、
随所で小ネタ的に、イーストウッドへのオマージュらしきポイントが。

おおきな変化としては、やはりアイヌへの言及でしょうか。
文明開化の名のもとに、アイヌの文化を徹底的に破壊する新政府。
いまのぼくたちは、字幕をつけなければ、かれらのことばもわかりません。
あたらしい時代をつくるために、どれだけのものをすててきたのか。

もうひとつ、武器に刀が追加されたという変化もあります。
十兵衛が最初の賞金首をしとめたのも刀。
カメラは、にげまわる賞金首と、あゆみよる十兵衛をおっていきますが、
とどめをさすその瞬間は、カメラがひいて俯瞰的に、
感情移入をゆるさないように、冷酷にうつしだしています。
それでもその(殺す/殺される)いたみは、十分こちらにつたわります。

渡辺「(イーストウッド監督の)オリジナルって、映画館でその時代に見たっていう人は―もちろんなかにはいらっしゃると思うんだけど―数は少ないと思うわけ。あれは、あの時代のなかで出てきた映画として、すごく衝撃的だった気はするんだよね。ハリウッドのウエスタンって、ザッツ・エンターテインメントっていう…正義が悪を倒す、最後はある種のカタルシスがあって、みたいな。そういう一切を排除した、凄まじいほどのあっさり感が衝撃だったわけですよ」

そしてクライマックス、酒場での凄惨な大量殺人。
キリングマシーンと化し、むかってくる警官、屯田兵たちを次々に殺す十兵衛。
上司の命令にしたがうだけの、ただ職務に忠実なだけの人であっても。
この北海道にくるまでに、かれらにどんな人生があったかは、まったく関係なく。

いわゆるチャンバラ的な、ヒーローの殺陣というものは、
ここには一切ありません。
なにがなんでも生きのびようと、必死でたたかう人間のすがただけ。
CGもワイヤーもない、生身の人間どうしのぶつかりあい。

十兵衛が署長の腹に刀をぶっ刺し、切りすてた瞬間、
もともと錆びついてボロボロだったその刀は、ポッキリと折れてしまいます。
瀕死の状態ながら一太刀あびせようと、手もとの刀をもちあげる署長でしたが、
「重てぇ…」と、ついにちからつき、刀をおとします。

かつては幕府方の人斬りとして、あるいは新政府軍の一兵卒として、
武士の魂である刀を手にたたかっていた、十兵衛と署長。
いまやその魂は、ふたりの手からこぼれおち、もうもどってはきません。

炎上する酒場から、傷のいたみをこらえて出てくる十兵衛。
門のそばでは、女郎たちによって緊縛をとかれた、金吾の遺体が。
(ここも日本版のみの描写)
金吾を見おろす十兵衛。

「地獄で待ってろ」

ここで再会の約束をかわすあいては、金吾なのですね。
オリジナル版では、マニーが保安官を殺すときに約束していました。

「地獄で会おうぜ、ウィリアム・マニー」
「ああ」

こっちのバージョンだと、マニーも保安官もおなじコインのオモテとウラ、
どちらも暴力をふるう「許されざる者」である、とはっきりさせられます。
(生きる)くるしみから解放された金吾は、許された…といえるのでしょうか…。

そもそも、だれが「許されざる者」であったのか。
賞金首のみならず、警察関係者を血まつりにあげた十兵衛?
金吾を拷問して殺し、十兵衛の復讐のきっかけをつくった署長?
十兵衛に賞金首のはなしをもってきた金吾?
傷つけられたなかまのために、賞金を出した女郎たち?
女郎を傷つけた、もと仙台藩士の開拓民?
入植政策をすすめるため、かれらを故郷からつれていった政府?
いもづる式に犯人をさがしても、キリがありません。

生きるかぎり、生きつづけるかぎり、ぼくらはみな「許されざる者」なのか。
だとしても、それでもぼくたちは「生きねば。」ならない。

うえむら「わたし、映画を見る前にお腹が空いていたんですね。『お腹が鳴ったらどうしよう』って考えてたのに、見終わった瞬間に食欲が何も…」
渡辺「そんなこと言うとさ、これ『食欲が失せる映画だ』みたいに思われちゃうから(笑)」
うえむら「違うんです!集中しすぎて、食欲さえも忘れてしまう、没頭しちゃう映画だったので…」


ちょうどおひるどきに見たぼくも、うえむらちかさんとおなじ感想です。
エンドロールがおわって、ふうっと息をはき、こわばった筋肉をときほぐすような。
ストーリーのさきよみは、いくらでもできるはずなのに、
それでもこのただならぬ緊張感。

そんななかでも、スクリーンいっぱいにうつしだされる、
北海道の雄大な自然が、とてもうつくしく、畏敬の念をおぼえます。
まっくらな劇場のなかでひかる、白い雪景色の、なんとまぶしいこと。
重く哀しい人間の物語とのコントラストが映える、すばらしい日本映画です。

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