スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高畑勲監督『かぐや姫の物語』


かぐや姫の物語 ビジュアルガイド (アニメ関係単行本)かぐや姫の物語 ビジュアルガイド (アニメ関係単行本)
(2013/11/21)
スタジオジブリ

商品詳細を見る

姫の犯した罪と罰。

映画のキャッチコピーとなったこのキーワード。
それについて、本編のなかで直接にふれられることはありませんでしたが、
『竹取物語』の原文には、月からの使者が翁にいうセリフで、こうあります。

「かぐや姫は、罪をつくりたまへりければ、
 かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。
 罪のかぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。能はぬことなり」


姫さまは(月の世界で)罪をおかしてしまわれたので、
下賎なおまえのもとに、しばらくいらっしゃることになったのだ。
その刑期がおわったので、このようにおむかえにきたのに、
おまえは泣いてかなしんでいる。
(姫さまを地球にとどめおくことは)できないことなのだ。

つまり、
月にかえることで、翁や媼らとかなしいわかれを体験することが罰なのではなく、
地球上にいることのほうが、かぐや姫にとっての罰であった、ということ。

クライマックス、かぐや姫をむかえにきた月のひとびとは、
どんちゃんさわぎのような、たのしい音楽にのってくりだしてきますが、
(まさか上々颱風の演奏ではあるまいか、と一瞬おもってしまいました)
その顔にはなんらの表情もうかべず、能面のよう。
ひとを愛するよろこびにも、ひととわかれるかなしみにも、
いっさいくるしむことのない、こころやすらかな世界の住人たち。

それにくらべて、このシーンにいたるまでの約2時間、
かぐや姫がスクリーンでみせた言動の、なんといきいきとしたことか。
「鳥 虫 けもの 草 木 花」をみつけてはよろこび、
いきどおりのこころを体現するかのように、風よりもはやくかけだし、
じぶんのおもいつきで他人を不幸にしてしまったことを後悔して泣き、
媼とともに機織りをしたり、庭をいっしょに見たりして、おだやかな顔をみせ。

そうした喜怒哀楽はどれも、かぐや姫が月にいたままでは、
決して体験することができなかったものです。
月の住人たちからすれば、そうした地球の人間の言動すべてが、
とてもけがらわしい、かかわりたくないものにみえたのでしょう。
そんなけがらわしい地球に、あろうことか、姫さまはあこがれてしまった。

かぐや姫のおかした罪とは、
「地球にいきたい(行きたい/生きたい)」とねがってしまったこと。
かぐや姫にあたえられた罰とは、
「ならばそのけがらわしい地球でせいぜいくるしんでくるがいい」ということ。

パンフレットにおさめられた、高畑勲監督の企画書をよむと、
おおよそこういうことではないかとおもわれます。
企画書には、かなりこまかなこともかかれていますので、
さきに設定を知っておきたいかたは、映画を見るまえに、
ネタバレは知りたくないというかたは、映画を見たあとに読まれますよう。

「わたしはなにをしてきたのでしょう…」
翁と媼にじぶんの正体をあかしたかぐや姫のセリフです。
ふたりとのわかれがかなしいのも、もちろんあるでしょうが、
さらに、じぶんがあこがれたこの地球で、
そのうつくしさをしっかりととらえて、ねがったようにすごしてきたのだろうか、
いいやとてもそうはいえない…と後悔してのことばでもありましょう。

かぐや姫が、天の羽衣を身にまとった瞬間、
地球での記憶はすべてきえさり、月の住人の顔になります。
生きるよろこびもかなしみもない世界の住人。
地球=「生」、月=「死」、の象徴であると見れば、
じぶんの余命をしった人間がどういう思いになるのか、が、
終盤のかぐや姫のすがたにあらわれているともいえます。
じぶんは精一杯生きてきたのだろうか、このまま死んでいいのか…と。

でも、映画を見ているぼくたちは知っています。
たとえ聖人君子でなくたって、絶世の美女であろうがあるまいが、
かぐや姫が、人間のよろこびもかなしみもその身にそそぎこんで、
ひとりの人間として、いきいきと生きてきたことを。

ラストシーン、月にかえっていくかぐや姫は、
一瞬だけ地球をふりかえります。
じぶんのむねにわきおこる、ことばにできないこの感情は、いったい何なのか。
記憶をなくしても、思いは(歌になって)のこっているのか。

おぼえていてほしい。
わすれないでいてほしい。
それは、かぐや姫の帰還をみおくる(≒死者をとむらう)翁や媼、
そして観客であるぼくたちの、身勝手な解釈、ワガママなのかもしれません。

それでも、そうした「けがらわしい」感情をもひっくるめて、
それこそが地球に生きる人間のありかたなのだ、と、
地球にあこがれたかぐや姫にいわれているような、そんな印象をもちました。

パンフレット、プロダクションノートより。

プレスコ当時、地井(武男)さんは台本を読んですぐに高畑監督に質問した。
「高畑監督、これは地球を否定する映画なんですか?」
すかさず高畑監督は
「まったく逆です。これは地球を肯定する映画なんです」と応じた。
その後、その答えに安心してか、
70歳近い声優初心者は楽しそうにプレスコを続けたという。


翁役、地井武男さんの第一声がながれてきた瞬間、
映画がはじまったばかりなのに、こらえきれず、おもわず涙が。

どうか地井さんも、この映画をたのしんで見てほしい。
生きているぼくの身勝手なのぞみですが、そうおもわずにいられません。



以下、箇条書きで。

◯こんな作画してたら、そりゃ完成まで8年もかかるはずだ…。
 高畑監督のこだわり…というか狂気が、そこかしこからにじみ出ている。

◯時代背景や当時の習慣・風俗などを徹底的にリサーチするのだけど、
 その成果を「どうだすごいだろう」と前面におしだすのでなく、
 絵物語のように、やわらかな感じで表現するという方法。
 そのまんま継承したら、納期までに作品が完成しないことうけあいだけど、
 リアル第一主義におちいらないというのは、大事なことかも。

◯女童(めのわらわ)、愛嬌があるわ気がきくわラストでたよりになるわ、
 「なにこの子、持って帰りたい!」とおもうほどに萌え。
 物販で女童のコインケースや巾着が展開されているのもうなづける。
 演じているのは田畑智子さん。へー、気づかなかった。

◯家庭教師の相模(さがみ)役は、高畑淳子さん。
 いつもはニコニコ動画で、毎週マリバロンさまとして見ているのだけど、
 立て板に水というか、よどみないセリフまわしがお見事。
 「…まっ!」「…あっ…」というリアクションで、わらわせてもらいました。

◯車持皇子=橋爪功オンステージに爆笑。さすがです。

◯御門、深夜枠だったらかぐや姫をあのままおしたおして…ゲフンゲフン。
 (それなら「地球にいたくない、死にたい」っておもうよなあ…)

◯137分の長尺が心配だったけど、おわってみれば、なかだるみは感じられず。
 絵に圧倒されたのもあるけれど、やはり役者さんの演技がよかったからか。
 シリアス一辺倒じゃなくて、コメディチックな演出もおおくてたのしかった。

◯加速装置!的に光速で疾走し、大空を自由自在にとびまわるかぐや姫。
 そのつど「夢だったのか…」というフォローがはいるけれど、
 こういうやりたい放題こそが、アニメーションの醍醐味。すばらしい。
 (自転車で空をとぶ『あまちゃん』のアキにもちかいものがあるかな、と)

◯三宅裕司さん、どこに出てたの?全然わからんかった…。

スポンサーサイト

トラックバック一覧

コメント一覧

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。