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アドルフ・ヒトラー『わが闘争』


わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)
(1973/10)
アドルフ・ヒトラー

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いまごろになって、ニコニコ動画の「総統閣下シリーズ」にハマっています。
あっちの世界の第三帝国は、なんとも平和というか、のほほんというか。
ナチス幹部総出で「けいおん!」鑑賞会て…このオヤジどもめ!

ちなみに映像の元ネタは、2004年の映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』
ヒトラーの秘書・ユンゲの目をとおして、ナチスドイツの最期をえがいています。
ブルーノ・ガンツ演じるヒトラーが、あまりにも生きうつしだったために、
ここ日本で、山のようなMAD動画がつくられることに。

もともとは、ヒトラーの人間性をうちだす、というよりも、
「国がほろぶとはどういうことか」をことこまかにえがいた映画です。
なので、ヒトラー個人のかんがえについては、
1920年代に書かれた『わが闘争』を読むとわかりやすいです。

イヤ、MADの見すぎで、総統閣下があまりにもおもろいキャラになってしまったので、
ここらへんで軌道修正せんといかんなあ、ということで。

ユダヤ人に対する蔑視(寄生虫、とまで)については、
すでにおおくの解説書があるだろうとおもうので、
ここでは「大衆」「民衆」についての、ヒトラーのかんがえをいくつかあげてみます。
実際、いまでも通用するものもあるとおもうのです。

(p75)
大衆もまた哀願するものよりも支配するものをいっそう好み、
そして自由主義的な自由を是認するよりも、
他の教説の併存を許容しない教説によって、内心いっそう満足を感ずるものである。

かれらは破廉恥な精神的テロや、
かれらが人間的自由をシャクにさわるほど虐待されていることにも気がつかないのだ。


独立独歩のきびしさよりも、安寧を約束された奴隷になることをえらぶ。
ほんとうに、わたしの自由にものをかんがえるというのは、むずかしいことです。

(p129)
多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、ひきょうの代理でもある。
百人のバカものからは実に一人の賢人も生まれないが、
同様に百人のひきょうものからは、一つの豪胆な決断も出てこない。


「烏合の衆」ということでしょうか。
どこの集団、とはいいませんが。

(p260)
大衆の需要能力は非常に限られており、
理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。

人々がこの原則を犠牲にして、
あれもこれもとりいれようとするとすぐさま効果は散漫になる。
というのは、大衆は提供された素材を消化することも、
記憶しておくこともできないからである。


(p266)
最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、
けっきょく覚えさせることができるのである。
変更のたびに、宣伝によってもたらされるべきものの内容を決して変えてはならず、
むしろけっきょくはいつも同じことをいわねばならない。

だからスローガンはもちろん種々の方面から説明されねばならないが、
しかし考察の最後はすべていつも、新しいスローガン自体にもどらねばならない。
そのようであってこそ宣伝は統一的であり、
まとまりのある効果をおよぼすことができ、また効果がおよぶのである。


「ワンフレーズポリティクス」の説明ですね。
親切丁寧な1時間の説明よりも、すぐにおぼえられるたったひとことを。
これにひっかかって「だまされた!」となった例は、過去に数しれず。

(p481)
この地上でもっとも巨大な革命の原動力は、どんな時代でも、
大衆を支配している科学的認識にあるというよりは、
むしろかれらを鼓舞している熱狂、
また往々かれらをかり立てるヒステリーの中にあった。


これについては、つねに自分じしんをかえりみないといけませんね。
あたまに血がのぼって、冷静な判断ができなくなっていないかどうか。
「オレのほうがただしいのに!キーッ!」とならないように。

(p481)
民衆はどんな時代でも、
敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、
逆に他者の絶滅を断念することは、
たとえそれを自分が正しくないことの証拠と感じはしないにしても、
自分の正義についての不確実さと感じとる。

大衆は本能のかたまりにすぎず、
かれらの感情は、敵同士であることを望んでいると主張している人々の間の
お互いの握手を理解しはしない。
かれらが望んでいることは、
より強力なものの勝利と
より弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。


ああ、これは…。
ツイッターで論争、というかケンカしているひとたちを見ていると感じます。
自分こそが100%ただしいと一歩もひかず、
とことん粘着して、のぞむ返答をひきだすまでやめないという。

その論争によって、なにを獲得目的とするのか。
それによって、ケンカのしかたもかわってくるのではないでしょうか。
といいつつ、あまりケンカした経験がないので、説得力はないのですが。

権力をもつものは、こういうことをあたまにいれている、ということです。
どういうふうにすれば、もっとも効率よく大衆をおさえておけるか。
できるだけそのウラをかいた言動をしたいものですが…なかなかですね。

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