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松岡正剛『松岡正剛の書棚ー松丸本舗の挑戦』


松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦
(2010/07)
松岡 正剛

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来週、出張で東京にいきます。
じつは東京にはめったにいってなくて、高校の修学旅行以来です。
用事がおわったあと、1日分くらいはからだがあくので、どこにいこうかと。

といっても、さほど名所見物には興味ないしなあ。
と、なやんでいたところで、おもいだしたのがこの本でした。
丸善・丸の内本店4階の本屋、松丸本舗。
そのコンセプトや本棚の写真をまとめた、入門編のような一冊です。

表紙を見ても、従来の書店のように、
「ノンフィクション」「評論」「美術書」といった分類ではありません。
棚ごとにコンセプトをさだめ、それにそって本をえらび、陳列。
たかさはバラバラ、横にもおく、棚板にはヒントのような書きこみが。

本屋というよりも、まるで松岡正剛氏の書棚を見ているかのよう。
このひとの目には、世界がこう見えているのか、という。
ちかくにおかれた本と本とのつながりをかんがえてみることで、
その書棚がなにを言いたいのか、どんな意味をもつのか、それが見えてきます。

たとえば、「遠くからとどく声」と名づけられた棚。
いまはとおくなった少年少女時代からのこえは、
『トム・ソーヤーの冒険』『十五少年漂流記』『秘密の花園』『ノンちゃん雲に乗る』。
とおい宇宙からのこえは、
『結晶世界』『火星年代記』『幼年期の終わり』。
異界からのこえは、
『雨月物語』『死者の書』『山月記』。

ジャンルを越境することによって、
そこにいままで見えなかったあらたな世界が垣間見えてきます。
個人の書棚って、もともとこういうものかもしれませんね。
買ってきた本が、一見ランダムにおかれているように見えて、
じつはそのひとのあたまのなかを、本のならびというかたちで具現化しているような。

松岡正剛氏と東浩紀氏の対談より。

(p98)
松岡 東さんもかなりの読書家だと思うけれど、自分の書棚はどう作っていますか。
  書斎の壁三面に二段構えのスライド式本棚を作り付けで設置しています。特に分類していないので、どの本がどこにあるのかは、身体感覚で覚えています。それが狂うともう探せない(笑)。
松岡 その「身体が本の場所を覚えている」というのはよく分かる。僕も妻や友人やスタッフから「こんなに本があるのによく場所を覚えていられるね」と驚かれます。でもそれは特別なことではない。薬局のマツモトキヨシも大量の商品がおよそ規則的とは思えない並べ方で陳列されていますが、店員さんに頼めばパッと商品を持ってきてくれる。きっと身体で覚えているのでしょう。


「身体が本の場所を覚えている」
そうそう!
じぶんでおいた本は、たとえあまり読んでいなくても、なぜかおぼえているんです。
配置図をプリントアウトしているわけでもないのに、
だいたいどのへんになにがあったか、おおよその場所はわかるのですよ。
その分、本以外のものは、なにがどこやらシッチャカメッチャカですが…。

(p98)
松岡 こういうことは、具体的な「物」の場所だけではなくて、「知」のアドレスの問題でもあると思うんです。一つ一つの「知」は一見バラバラになっているようでも、身体がその場所を覚えていて、必要な時に結合させてくれる。今の書店は、身体の記憶力を軽視してシステムとしての効率性を重視するあまりか、画一的な本の並びになっていますね。それでは頭の中まで単純化させるようで僕は不満だった。松丸本舗はそうしたことへの挑戦です。
  これは、本好きにとってはとても本を探しやすい棚ですね。直感的に分かります。


興味をもった1冊の本から、つながりのあるべつの本へ。
その思考の移動が、松丸本舗だとスムーズにいくのでしょう。
というより、松丸本舗という個人のあたまのなかに、はいりこんでいくような感覚。
『マルコヴィッチの穴』書棚バージョンというか。

よし決めた。ぜったいに行くぞ、松丸本舗。
そんなわけで、来週は出張中のため、ブログ更新がおそらくできないとおもいます。
ご了承ください。

あ、でもライフタッチノートで宿泊先からアップするという手もあるのか。
うーん、その時間がとれるかどうか…あと本はどうしよう…。

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