スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『思想地図β vol.2』東浩紀「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」


思想地図β vol.2思想地図β vol.2
(2011/09/01)
東浩紀、津田大介 他

商品詳細を見る

きょう9月19日の午後、明治公園で「さようなら原発5万人集会」がひらかれました。
集会・パレードのもようはUSTで中継され、おおくのひとが目撃しました。

毎日新聞9月19日「福島第1原発:『さようなら原発集会』大江さんら訴え」

空撮ヘリがとらえた、明治公園をうめつくす、ひと、ひと、ひと。
主催者発表で6万人参加とのこと。
組織的にあつめられたひとたちのみならず、
まったく自発的に、なんの党派性もなく参加した、ごくごく一般のひとたちも、
おそらくたくさんいたのでしょう。

が、しかし。
脱原発のかんがえが、国民「全員」の総意かというと、そうではないようです。
あちこちのSNSを見ても、原発については、積極推進/容認/漸次廃止/即時廃止と、
さまざまな意見がとびかっています。

ひとりひとりの意見のちがいは、バックグラウンドのちがいからもきています。
福島にいまもすんでいるひと。福島から避難してきたひと。
関東にすんでいるひと。関西にすんでいるひと。
いざというときの貯蓄をもっているひと。その日ぐらしの金しかないひと。
かねてから原発問題に一家言あったひと。原発事故以降からかんがえはじめたひと。

原発について、もっとちゃんとかんがえたい。
イヤ、もっといえば、かんがえるための土台となるものがほしい。
そうしたおもいで、いろんな原発関連の本を読んできましたが、
『思想地図β vol.2』は、それらの本とは正確を異にするところがあります。
知識・情報があるのはもちろんですが、
それ以上に「さあ、あなたはどうする?どうかんがえる?」と問いかけているような。

東浩紀編集長による巻頭言。
大上段から明確に「ああしろ、こうしろ」というのでなく、
まよい、なやみながら書いている、そのすがたを文章から見せているかのようです。

「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」

マスメディアでは、日本人のかんがえをひとつに統一するかのような、
紋切り型の、とおりのいい、「みんなで一緒にがんばろう」というメッセージが、
くりかえしながされています。
日本人は一体となって、この難局をのりきっていける、と。

原発問題ひとつで、これだけひとびとが分裂している状況にあって、
それはほんとうのことだといえるのでしょうか。

(p14)
同じ災害をまえにしても、
それぞれの立場によって被害の深さと対応力はまったく異なり、
そしてこの国にはもはや、
その不平等を埋めることができる力のある政府は存在しないし、
これからも10年20年は復活しそうにない。

震災でぼくたちは、自分たちがばらばらだったこと、
そしてこれからもずっとばらばらであろうことを知ってしまった。
「みな同じ」でないことを知ってしまった。


おなじ被災者でも、
高台にいてたすかった家族と、身内を海辺で亡くした家族とでは、
回復する過程がまったくちがうものになるでしょう。

おなじ線量のデータを見ても、
「これくらい大丈夫」というひとと、「これは危険だ、すぐ避難を」というひととでは、
原発に対するかまえもちがってくるでしょう。

おなじ原発立地の住民であっても、
すぐに移動できるだけの余裕があるひとと、ないひととでは、
おなじ気もちのありかたになるとはおもえません。

そうした、決して平等でないひとびとをむすびつけていたのは、
「消費の平等」だったのではないか、というのが、
いわゆる「ゼロ年代の批評」だったとしています。
しかし震災後のいま、そのかんがえははたしてなお有効なのでしょうか。

(p14〜15)
同じものを食べ、同じものを見て同じものを身につけているという現実、
この国では結局はそれでしかひととひとを結びつけることができないのだとしたら、
その紐帯は、あるひとが災厄から逃げることができ、
別のひとが逃げることができないというもうひとつの現実を乗り越える連帯を
いかにして産み出すことができるのか。
ネットカルチャーの、ポップカルチャーの連帯に未来はあるのか。


どのようにすれば、ひとびとの連帯をなすことができるのか。
そのこたえは、ここで出ているわけではありません。
原発ひとつでこれだけバラバラになっている現状で、
たったひとつで全部解決するような、特効薬などありはしないのでしょう。

それでも、思想を、かんがえることを、すててしまってはいけない。
だからこそ東編集長は、この雑誌を世におくりだしたのです。
思考停止するな、冷笑・嘲笑するだけの人間になってしまうな、と。

じぶんのかんがえがただしいのか、まちがっているのか。
さまざまな情報がながれ、その判断はむずかしく、容易にひっくりかえることも。
極論にいってしまえばラクなのでしょうが、
それは、かんがえることを放棄した、怠惰な道なのではないでしょうか。
どれだけなやみ、つかれ、くるしんでも、かんがえることをすててはいけないのです。

(p17)
願わくば、もういちど「考えること」が力を取り戻さんことを。
そして新しい連帯がこの国を救わんことを。


『思想地図β vol.2』には、ほかにも上質な論考がおおく掲載されています。
個々の論考についても、おいおい感想を書ければとかんがえているところです。

スポンサーサイト

トラックバック一覧

コメント一覧

コメントの投稿

名前

タイトル

メールアドレス

URL

本文

パスワード

非公開コメント管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。