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滝口康彦『一命』


一命 (講談社文庫)一命 (講談社文庫)
(2011/06/15)
滝口 康彦

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ただただ教授が音楽を担当する、その一点だけで、
10月にでるサントラも買おう、映画も見にいこうとおもっていました。
で、いきおいにのって原作の文庫も読んでみたのですが、
まいりました。
ミーハー気分でとびついたぼくがあさはかでした。

映画の原作は、文庫に収録されている短編「異聞浪人記」。
舞台は江戸時代はじめ、芸州広島。
大守・福島正則は元和5年(1619年)に、
広島城を「無断で」修理したことが武家諸法度違反とされ、改易。
(はたして福島正則のミスだったのか、もと豊臣派を始末したい幕府の策略なのか…)

職をうしなった浪人たちのあいだでは、当面の生活費をもとめ、
(その気もないのに)大名屋敷で切腹したいとねがいでて、
面倒をさけたい屋敷がわから、その家への就職や当座しのぎのカネをもらうという、
いわゆる「狂言切腹」が流行していました。

(p13)
少なくとも最初にこれを行動に移したものは、
貧苦の中に身もがきしながら生きながらえるよりも、
むしろいさぎよく死を選ぼうとする純粋な思いを、
いくばくなりとも胸中に宿していたであろう。
だが、今では、そのような殊勝な心がけなど薬にしたくともなかった。
我も我もと先を争って諸侯の屋敷に押しかけるあまたの浪人たちにとって、
それはもはや、一時の窮迫を切りぬける生活の方便であり、
体のよいゆすりでしかないのであった。


名門・井伊家の屋敷に、切腹したいとたずねてきた浪人、津雲半四郎(市川海老蔵)。
対応した家老、斎藤勘解由(役所広司)は、数カ月前、おなじようにたずねてきた、
若浪人、千々岩求女(瑛太)の狂言切腹の顛末をかたりはじめる…。

あまり内容をかたりすぎると、映画のネタバレになってしまうので、ほどほどに。
ただこの作品、チャンチャンバラバラするだけの時代劇では、決してありません。
江戸時代のはなしでありながら、テーマはまったくもって現代的です。
巻末、文芸評論家・末國善己氏の解説より。

(p234)
非正規社員が増大し、それが格差や貧困の一員となっていても、
フリーターや派遣社員は、正社員になる努力をしていない、
あるいは仕事を選り好みしているとの偏見にさらされている。
こうした時代だからこそ、豊家恩顧の大名を排除し、
徳川家の支配を強化するという政治的な思惑だけで一方的に主家を潰され、
狂言切腹をしてまで日々の糧を得るところまで追い詰められた浪人たちを、
「衣食に憂いのない人々」が見下している現状を告発していく津雲半四郎の怒りを、
真摯に受け止める必要があるように思える。


津雲や求女ら浪人はフリーター/派遣社員、大名屋敷の武士たちは正社員、として、
この作品を見てみると、どういうことかよくわかります。

なんの落ち度もないにもかかわらず、
会社のがわから見れば合理的な、社員のがわから見れば不条理な理由でクビになり、
おのれのプライドをじぶんじしんでズタズタにするようなことをしてまで、
その日を生きるカネを、手にいれなければならない。

ドロップアウトしていない、もしくはする心配がカケラもない正社員からすれば、
「結局そいつのせいでしょ?」
「じぶんの失敗を他人や会社のせいにすんな」
底辺に生きるひとたちを十把ひとからげでとらえ、個々の問題を見ようとはしない。

ネットのいわゆる掲示板をのぞくと、
だれかの犯罪行為記事に対して、つぎからつぎへと罵倒のことばがつらなってきます。
その行為のうらがわになにがあるのか、まるで想像しようともせずに。

そのすがたが、本作の井伊家家中の武士たちにかさなります。
浪人たちの狂言切腹に対して、目にもの見せんと待ちかまえていた井伊家。
求女は、急場のカネほしさに狂言切腹をした(理由は津雲の回想で…)のでしたが、
本当に切腹をするよう、追いつめられてしまいます。

(p24)
「お願いじゃ。今しばらく御猶予されたい。今より一両日の御猶予が願いたい。
 逃げもかくれもいたさぬ。必ずこれへ戻って参る!」
「いまさら、世迷い言は申さぬものじゃ」
つかつかと歩み寄ったのは沢瀉彦九郎であった。
「御願いつかまつる!」
見上げる顔へ、かあっとつばが飛んだ。
「恥を知れ」


(p25)
介錯人は白羽を手にしたまま、しばらくは求女の背後に突っ立っているばかりであった。
「切れ」
「ぐいと右へ引きまわすのじゃ」
周囲からどっとおこる、嘲罵の渦の中で
(後略)

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
そうした武士道のうつくしさに対する疑問であり、欺瞞の告発。
武士=官僚の社会で生きぬくための、組織内での身の処しかたを説いた武士道に対し、
そこからこぼれおちたものの悲劇をこそ、作者は強調してえがいています。

ぼくは本作を読んで、
クリント・イーストウッドの最近の作品群がオーバーラップしました。
『父親たちの星条旗』は、アメリカ軍の有名な写真にかくされた欺瞞を。
『硫黄島からの手紙』は、日本軍の(おもに上層部の)あたまのかたさを。
『チェンジリング』は、ロサンゼルス警察が失態をかくすためにおかした犯罪を。
美談でかたられることに対して「そいつはどうかな」と疑問をつきつけてきます。

今回の映画で、はたして三池崇史監督は、
「武士道」なるものを、どうえがくのでしょうか。
現代の正社員たちにとおりのよい=経営者にとって都合のいい「武士道」では、
決してないとおもっています。

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