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SIGHT vol.49「私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。」③


SIGHT (サイト) 2011年 11月号 [雑誌]SIGHT (サイト) 2011年 11月号 [雑誌]
(2011/09/30)
不明

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とりあえずラスト。

〈メディアと原発〉丸山重威

もと共同通信社のジャーナリスト。
かつてマスメディアの内側にいた人間としての発言。

(p115)
スリーマイル島の原発事故があった後、私がいた共同通信社では、
支局員などを集めて、原発に関する研究会をやりました。
その後も多分事故が起こる度に研修しているでしょうが、
スリーマイルの事故が79年、チェルノブイリ原発事故が86年、
それから東海村のJCO臨界事故が99年ですから、
この間に人が入れ替わってしまうんでしょう。
経験や知識を伝えていくのは大変です。
99年のJCOの事故のときには、実際に何が起きているのかわからない中で、
テレビ局の記者がJCOの門の前か、すぐ近所で「こちらJCOです」とレポートして
問題になりました。
かなりの危険地帯だったんですが、
メディアにはそれぐらいの認識しかなかったということです。

うーん、マスメディアが意図的に情報操作…というよりも、
むしろ勉強不足で正確な情報をつたえられない、ということかしらん?

(p117)
たとえば、国会で原発についての問題が指摘されると、政党の機関紙には必ず載る。
ところが、今の日本の政治報道では、国会の委員会を全部カバーすることはできない。
記者は、原発問題について普段から取材して準備していれば、
議論が起きたときには、おそらく書くと思います。
しかし、普段のルーティンの仕事の中では、
政治問題にでもならない限り、原発問題について書くことはなかなかないでしょう。
記者は「共産党が委員会でこういう質問をしたらしい」ということが
頭に入っていても、
大臣に「この問題については、どうなんですか?」と聞いて、
「それには対応します」と答えられたところで、話は大抵終わってしまうでしょう。
「その問題は重大だから、ちゃんと取り組まないとまずいんじゃないですか」と
追及して記事にするところまで、なかなかいかないでしょうね。

毎日の、いつものしごとをしてさえいればいいと。
ルーチンワークに忙殺されていると、なにが問題なのかをかんがえることもできない。
もういっそ、毎日新聞だしたりテレビ番組ながしたり、そういうのやめたら?
しっかり取材したうえで週3日ペースで…なんていいたくもなります。

〈日本人と原発〉坂本龍一

ええ、これをめあてに買いました。
教授は今回の原発事故から発言しているわけじゃなくて、
「STOP ROKKASHO」「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」などで、
反原発の発言・運動をおこなっていたのです。
その六ケ所村問題について、うごきをおこした2006年ごろのはなし。

(p136)
そのときに、桑原茂一さんが賛同してくれて、「Tシャツを作ろう」と。
50人ぐらいのデザイナーに六ケ所のTシャツをデザインしてもらう。
それで、「キャッチフレーズがほしいから、なんかない?」って言われて、
出てきたのが、「NO NUKES MORE TREES」なんですよ。
ただ、その時点では、「NO NUKES」、核はやめよう、いらないっていうのが、
やっぱり、ちょっと抵抗感があったみたいで。
「MORE TREES」はもう、とにかく右も左も、誰が見ても大賛成だったんだけど、
「NO NUKES」は、「……うーん、ちょっとね」みたいな。
で、止まっちゃったんですよ。
そのTシャツをお店で売らせてもらえないかとか、宣伝をどうしようかって話をすると、
「いや、その“NO NUKES”の部分が……」って必ず言われて。
うーん、しょうがないかなあと思いました。
「あ、そこに壁があるのか」って思いました。


そうか、「NO NUKES」はいまになってでてきたフレーズではなかったのですね。
この夏は、このフレーズをつけた服装で、YMOとしてフジロックにも出演。
トークでは、YMO3人がそろって原発問題について発言もしました。
はげしく怒る教授、しずかに怒る幸宏さん、淡々とかたるハリー。三者三様。

(p138)
こないだ、YMOでフジロックに出たときに、
トーク・ステージのほうにも呼ばれたので、行って話をしてきたんだけど。
私はもう国を憂えてる、憂国の士ですよ。

 ーはははは。
いや、ほんとに。憂国、愛国ですよね。
他に理由がないもん、だって。
そんな嫌われてまでさ、お節介言うことはないわけじゃないですか。
危険まで顧みず。
刺されたりするかもしれないわけだしね。電事連の放った刺客に(笑)。
ほんとにね、それしか理由はないんですよ。
だから、ここで、フクシマ前の日本にまた戻っちゃうんだったら、
僕は本当にもう見棄てるかもしれないですよね。幻滅して。
でも、たぶん、まだ幻滅してないんですよね。
なんとか子どもたちを救いたいと思ってるし、
被災者は少しでも快適な仮設住宅に入ってほしいと思ってるし。
まだ、愛があるんですけど。


80〜90年代の、クールな教授を見てきたものにとっては、
ここ数年の、アツい教授のすがたに、イメージをあらたにさせられます。
まして、3.11以降、教授はひとときもとまることなく、うごきつづけています。
机上の空論ではなく、具体的な方法で、確実に被災者にとどくやりかたで。

いまも継続されている『kizunaworld.org』『LIFE311』
ぼくも微力ながら、できるかぎり協力していきたいとおもっています。

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