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THE BEATNIKS『LAST TRAIN TO EXITOWN』


LAST TRAIN TO EXITOWNLAST TRAIN TO EXITOWN
(2011/10/12)
THE BEATNIKS

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路地裏にまよいこむための音楽。

というのが、一聴しての感想です。
すぐにでるこたえをもとめて、目的地にむけて、わき目もふらずまっすぐに…
という音楽ではないな、という印象です。

あっちこっち興味にまかせてフラフラ、ときおりふとたちどまりながら、
光から陰へ、そしてまた光へ。
これはなんだろう、どういう意味なんだろう、と何度もきいてしまう音楽。

最初の曲で「迷い込む道も たくさんある」と、まよいみちにさそいこみ、
最後の曲で「迷ってもいいんだよ 出口探して」と、その道程を肯定する。
それでもいつか、ひとは出口へとむかう。

ここでいう「出口」というのは、いま生きているこの世界からの出口、
ということなのでしょうか。
などと感傷的になってしまうのは、作品全体をおおう「さびしさ」であったり、
歌詞にきざまれた「(人生の)終わり」であったりが理由です。

老人と言われたら急ぎ足で 手にする時間はとても長い
(「A Song for 4 Beats」)

And when a sail is over
(「Ghost of My Dream」)

君らも僕らも決めなきゃいけないか いつかは誰もが佇むターミナル
(「最終出口行き」)

本来の意味の「出口」は、混迷・カオスからの出口であろうとおもいます。
YMOでいうところの「CUE」や「KEY」のような、活路をもとめる音楽。
まさにいま、3.11以降、混迷のただなかにある現在からの「出口」をもとめて。
なかまがだれもいなくても、たったひとりであっても。

All on your own / No one's around / Just run to the exit!
(「Around The Beats」)

この街から出たいな… この街にゃ何も無い
(「Camisa De Chino」)

ただ、なんというか、きいたときに漠然とした不安をかかえたのも、たしかです。
モノクロのジャケット写真、寂寥感をかりたてるアレンジ、
そういったものが、幸宏さんと慶一さんのまわりから去っていった、
あのひとやこのひと、いろんなひとへのおもいを、よびおこすようで。

おふたりとも、髪に、ヒゲに、白いものがおおくなりました。
もちろん、この年齢だからこそ、という演奏・表現があり、たのしくもあります。
(セピア調の写真で、またカッコよさがきわだつこと!)
しかし同時に、その年齢というものを意識してしまいもするのです。

「最終出口行き」をききおわると、
このままふたりは、列車にのって、どこかへ去ってしまうのではないかー。

夜中にひとりできいているから、こういう感傷におそわれるのかもしれません。
幸宏さんのUST「ユ*ストリーム」で見るおふたりは、それはそれはたのしそうで、
もっともっとたくさん、ビートニクスの音楽を体感したくなります。

わかりやすくああしろこうしろとは言わない、派手なギミックがあるわけでもない、
とてもパーソナルな手ざわりを感じる作品です。
すべての要素をじぶんのものとして、まだのみこめてはいませんが、
路地裏をフラフラさまようように、気のむくままにあれこれとききながら、
いつかじぶんにとって、たいせつなことば・音楽になるのだとおもっています。

No no not the end / No no no
(「Didn't Want To Have To Do It」)

出口に到着するのは、まだまださきになりますね。

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