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小坂忠『まだ夢の続き』


まだ夢の続きまだ夢の続き
(2006/12/02)
小坂 忠

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『プレイズナイト』USTREAM中継を、はじめて視聴しました。
牧師の説教をはさむかたちで、前後に小坂忠さんの讃美歌ライブ。
クリスチャンのつどいというのは、まったくの初体験だったのですが、
なるほど、こういう雰囲気なのですね。

エイプリル・フールをへて、ソロシンガーとして『ほうろう』などの名盤を発表。
1976年にクリスチャンとなり、ゴスペル・ミュージックの世界で活躍。
ぼくは、YMO→細野晴臣→小坂忠、というながれでききはじめたのですが、
そういえばクリスチャンとしての忠さんには、あまり接していませんでした。

讃美歌をうたうあいまに、おだやかな口調で聴衆にかたりかける忠さん。
タイでのコンサートのこと、広島での地震のこと、
そして、被災地のひとたちのために、できることをしよう、と。
「大丈夫です。ぼくたちにはイエスさまがついていてくださるから」と。

クリスチャンになったきっかけや、教会での活動などについては、
自叙伝である本書でよむことができます。
ぼくがよんだ動機は、60〜70年代ロックシーンについてしりたかったからですが、
キリスト教のこと、なにかを信仰の対象とすること、などについて、
いろいろとかんがえさせられたのは、おもわぬ収穫でした。

(p113)
宗教は嫌いだが、キリストは大好き。
宗教のために働きたいという気持ちはないが、
キリストのためにだったら、喜んで何でもする。
たとえ不可能と思えることでも、以前に前例がないことでも。
それが僕のスタンスである。


これはかなり腑におちました。
さきの時代をいき、のちに影響をあたえる思想・行動をなした人物への興味関心。
なぜそんなことをいったのか、そんなことをしたのか、
それをかんがえることで、じぶんなりの思索・哲学をつくりだしていくこと。
宗教というのは、そういうことではないのかなとおもいます。

基本は、ひとりでかんがえぬくこと。
かりものではない、じぶんのさとりをひらくこと。
そのために、先人ののこしたことばを利用する。
必要ならば、はなしをききたいひとにあいにいって、納得いくまではなしこむ。

イエスという存在は、じぶんひとりでかんがえるときに、
じぶんがつむぎだすことばをきいてもらうための、仮想のあいてなのかも。
「こうかんがえたんですが、きいてもらえます?」というような。
それが正解かまちがっているか、というよりも、
その時点でもかんがえを、くちにだして整理するための、きき役というか。

ああ、それぞれのかんがえをきいてもらうあいてが必要なんですよね。
だから、おなじみちをあゆむなかまがいると、かんがえを整理しやすいと。
そのための場として、教会が機能する、ということなのでしょうね。
決して、ただ信徒をふやすだけが目的だったり、教祖に絶対服従したりするのでなく。

(p112)
現代は横割りの社会だ。
昔の大家族時代と違って、今は核家族化が進み、
地域社会は世代を超えたコミュニケーションを失ってしまった。
同じ世代間でしか話が通じない環境になってしまった。
その点、教会はもともと大家族のような形態で運営されている。
礼拝には、お年寄りも、壮年も、青年も、子供もいる。
様々な立場と世代の人々が、同じ場所で一緒に歌い、祈り、礼拝する。
僕はここに大きな意味があると思っている。


じかにはなしあう場、じぶんのかんがえやなやみをきいてもらう場。
そうした場は、なにも教会だけに限定することはないわけです。
仏教においても、秋田光彦『葬式をしない寺』のようなこころみがあります。
檀家ゼロ、法事はしない、NPOによる運営、本堂で演劇をおこなうなど、
「社会から求められる寺」、コミュニティの中心として機能しています。
それはまさに、忠さんの理想とする、「社会に仕える教会」とリンクするものです。

社会からへだたった、隔絶された世界でいきるのではなく、
社会のなかにみずからとびこんでいき、必要とされる役割をみつけ、はたすこと。

(p122)
福音はすべての人に開かれているはずなのに、
教会は敷居を高くして、逆に新たな信者を拒んでいるかのようだ。
伝統を守ることばかりにエネルギーを費やし、
時代の変化に対応しようとする柔軟性に欠けたところがある。
聖書にも、イエス・キリストにも魅力を感じるのに、
教会には親しみが湧かないという人が多いのは、そのせいかもしれない。


このことは、教会や寺院など、宗教の世界にかぎったことではなく、
なにかしらのグループ、サークル、組織、集団などにも通じるものです。
ひらかれた態度をとらず、なかまうちだけで完結してしまうと、さきがありません。

じぶんのあたまでかんがえないと意味がない。
だけど、じぶんひとりでとじこもるだけではものたりない。
あ、このあたりはソーシャルメディアのこととつながるかも。
またよみかえしてみたら、そのへんのヒントがみつかるかもしれません。

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