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由紀さおり&ピンク・マルティーニ『1969』


19691969
(2011/10/12)
由紀さおり

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由紀さおりがデビューしたとしである1969年にスポットをあて、
この年に日本のラジオでながれていた曲をえらんでうたう、というコンセプト。
これがすばらしい!

正直、日本の歌謡曲をかろんじていたというか、あまくみていたというか。
「しょせんテレビでながす用の曲だろ」ていどにとらえていました。
土下座してあやまりたい気分です。どうもすみませんでした。
そのくらい、目からウロコをボロボロとこそぎおとしてくれた作品です。

童謡のうたいて、トルコ行進曲のスキャット、というていどの認知度でしたが、
(ぼくにとっては、です。念のため)
こんなにすばらしい表現力をもっているひとなのですね。
国内外のさまざまなジャンルのうたを、
苦もなくかるがると(そうきこえるように)のりこなしています。

ペギー・リーの日本語カバー「Is That All There Is?」では、
物語の主人公としてのかたり、そこから自然にうたのパートへと移行してみせます。
日本語ラップという手段にたよらなくても、こういう方法もあるのかと、新発見。
かとおもえば、フランシス・レイの「Du soleil plein les yeux/さらば夏の日」では、
原曲どおりのフランス語歌唱。

デビュー曲「夜明けのスキャット」は、はじめてフルレンジでききました。
ほんとうに最初はスキャットだけなんですね。
Aメロ−Bメロ−サビの展開を、おおきく逸脱した曲。
こんな曲が、1969年に世にでていたということに、あらためておどろきます。

おおかたのロックずきもそうでしょうが、ぼくにとって1969年というとしは、
こういう認識でした。

ビートルズがゲット・バック・セッションをおこなうも、解散が決定的に。
ローリング・ストーンズのライブで「オルタモントの悲劇」。
ジミ・ヘンドリックスがウッドストックでアメリカ国歌を爆音で演奏。
エリック・クラプトンの新バンド、ブラインド・フェイスが結成、活動停止。
ボブ・ディランがナッシュヴィルで、にっこりほほえみカントリー。

それから、ザ・フーの『トミー』、レッド・ツェッペリン結成、などなど、
かたりだせばキリがないほど、さまざまな変革があった1年でした。
もっとも、そのときうまれていなかったぼくは、すべてあとづけの知識なのですが。

音楽も、思想も、なにもかもがめまぐるしくゆれうごいていたこのときに、
日本では、こういう音楽がながれていたわけです。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」「いいじゃないの幸せならば」「夕月」…。
テレビの懐古番組でしかしらない曲たちが、こんなに魅力的だったなんて。

たしかな歌唱力と、しっかりした楽器のアレンジ。
それさえあれば、いくらでもすばらしい楽曲は可能なのですが、
それをするのも、いまの日本の歌謡界ではむずかしいのでしょうか。

大学時代からこっち、洋楽一辺倒だった時期もかつてありましたが、
(それがカッコいいとおもいこんでいたのですね…わかさゆえのなんとやら)
坂本龍一教授らによる『にほんのうた』などの影響もあり、
日本の音楽についても、歴史をたどっていきたいと、すこしおもっていました。
このアルバムが、そのあとおしをしてくれそうです。
まだまだ勉強するものが、たくさんありますね。

あ、そうそう、おもいだした。
由紀さおりといえば、鈴木清順監督『オペレッタ狸御殿』に出演していたのでした。
奇っ怪なメイクと衣装の「びるぜん婆々」役。
そうだ、ここでも朗々としたうたごえを披露していたんだっけ。
せっかくなので、ちょっとみなおしてみます。

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