スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮崎駿監督『風立ちぬ』


風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)
(2013/07/20)
スタジオジブリ

商品詳細を見る

封切りからすこし日があきましたが、
ようやく時間がとれたので、見てきました。
観客層はさすが、老若男女さまざま。
「こどもが退屈で走り回っていた」というニュースもありましたが、
はたして大丈夫でしょうか。

大正〜昭和を舞台にした、飛行機設計家と薄幸の美女の悲恋。
なるほど、たしかに『崖の上のポニョ』を期待してきた層にとっては、
「え、なんなのこれ」と肩すかしをくらうようなストーリー。

こういう内容の映画が、
昭和20年代につくられていても、おかしくないかもしれません。
堀辰雄原作の実写映画も、実際あるわけですし。
が、あのイマジネーションはアニメでなければ表現できないでしょう。

映画のなかでは、主人公・堀越二郎が見ている現実の世界と、
かれがねむって見る夢、ふとぼんやりと頭にうかんだ妄想などが、
まったくの等価なものとして、えがかれています。
たとえば、
夢のなかでジャンニ・カプローニ(実在の人物)と知己になったり、
設計図にかいた戦闘機が具現化して飛行してみたり。

これがCGを駆使した実写映画だったら、
「これがCGをつかったスペクタクルだー!」と拡声器でさけばんばかりの、
ド派手な飛行機チェイス、板野サーカスばりのバトルがえがかれたでしょう。
が、ねらいはそこではないでしょうから、そんなハッタリはいりません。

「疑似体験も夢も存在する情報は、すべて現実であり幻なんだ。
 どっちにせよ、ひとりの人間が一生のうちに触れる情報なんて、わずかなもんさ」

押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』より、バトーのセリフ。
これを宮崎駿監督風に表現すると、こういうことなのかな、と。

「大切なのはセンス。技術はあとからついてくる」
「君の10年を、力を尽くして生きなさい」

夢のなかで会ったカプローニからのことばが、
そのつど二郎の人生に、おおきな影響をあたえていきます。
ことばだけではなく、カプローニがつくった/つくろうとしている、
あたらしいセンスや技術をつかった飛行機そのものを見ることによって、
二郎は、じぶんがつくりたい飛行機を、現実にちかづけていくことになります。
(「サバの骨」がヒントになる、というのが、なんともかれらしいというか)

明確に夢や幻想だと観客に意識させるなら、
たとえばセピア調にするとか、それこそCGで区別するとか、
いろいろやりようがあるでしょうが、現実とおなじ手法のえがきかたです。
どっちであっても、それは二郎が見ているものであることにかわりはないから。

身もフタもないことをいえば、宮崎監督が、
「オレが好きな飛行機を、オレの好きなように飛ばしたい!」
という欲求をみたすために、
「夢のなかだからなんでもあり」なえがきかたにした、のかもしれません。
そういう意味では、宮崎監督が「パンツを完全に下ろした」作品なのかも。
(パンツの話は、押井監督がいってたんだったかなあ?)
とはいえ、それをおもしろく見られるようにしているのは、さすがです。

そう、あくまでも二郎が見た世界、体験した戦争、なので、
だいすきな飛行機については、これでもか!とこまかくえがかれますが、
たとえば興味のない会議のシーンは、テキトーな描写ですっとばされ、
(「お前、聞いてなかったろ?」「はい」のやりとりに、ついふきだしました)
かれが開発した戦闘機が、実際の戦場でたたかうシーンもありません。
(その悲惨さを知るのは、ラストシーン、幻想の、ゼロ戦の墓場においてでした)

そのひとが、はたして世界をどう見ているのか。
それこそ『マルコヴィッチの穴』のように頭にはいらないとわかりませんが、
ここでは、宮崎監督というフィルターをとおして、
二郎が見ていた世界を、観客のぼくたちが追体験していることになります。

戦争というひとつの「事実」を、だれの視点から見るかによって、
まったくことなる「真実」が、それぞれの立場においてうまれます。
ここでは、ゼロ戦を設計した人物の視点から見た、ということ。

戦意高揚映画では当然ないし、わかりやすい反戦映画でもありません。
表面をなぞればただのメロドラマですが、
おのれのもてる能力を精一杯つくして生きた人物には、
世界がこう見えているのか、と、たいへん豊穣な体験ができる2時間でした。

ですから、
ただ宮崎監督のインタビューの発言をきいて(あるいはネットで見て)、
キーワード検索したかのように言葉じりをとらえて、
ああだこうだと決まり文句でグチグチ批判をたれるのではなく、
まずは2時間、ドッシリと腰をおろして、映画を体験してみてはどうでしょうか。

つまらないなら、つまらないでいいでしょうし。
あるいは、数年たって「そういうことだったのか」と気づくかもしれませんし。
グッズ展開できるキャラはありませんが(読売・日テレ的にはキツい?)、
あの歴史を、いまくりかえし、くりかえそうとしている、このときに、
見ておいて損はないとおもうのです。

「風は吹いているか?」
「はい」
「では生きねばならぬ」

映画の結末は、ハッピーエンドではありません。
それでも、生きていかなければならない。
この時代も、そしていまも。



以下、おもいつくままいろいろ。

声優は、庵野秀明監督以外は、だれがでるかしらないままで見ました。
あとでパンフで見て、ああこのひとが、とわかった次第。
とくに、役者さんの顔がうかんでちょっと、ということはありませんでした。

物議をかもした庵野監督の声ですが、
なるほどこれは、糸井重里〜立花隆につらなる系譜ですね。
金曜ロードSHOW!の特集で見た、庵野監督起用決定のときの、
主要スタッフの「え〜…」「それはないだろ…」の顔がわすれられませんが、
イヤ、ぼくはわるくないとおもいますよ。

庵野監督、ふつうのしゃべるところはともかくとして、
ささやくような声や、感情をこらえてしぼりだす声がよかったのです。
菜穂子の耳もとで、そっと「愛してる」とささやいたときなんかもう!
それと、ラストシーンのセリフもグッときました。

そうそう、けっこうラブシーンが濃厚ですよね。
初夜のシーンなんて、実際の行為はえがいてないのに、おもわずいきをのみます。
二郎と菜穂子のキスも、くりかえし、ハッキリと見せていますし。

寝床の菜穂子と、机で仕事中の二郎が、手をつなぐシーンがいいですね。
「タバコ吸いたいんだけど、ちょっとだけ手、はなしちゃダメ?」
「ダメ」
うわあ、なんだこれ!なにこの胸キュンは!だれかたすけてー!
(や、実際はヘヴィな展開なのはわかってますけれども…)

とはいえ、いちばん感情移入したのは、じつは二郎の上司である黒川。
初対面のときは、ちょっとツンケンした感じだったのが、
一緒に仕事をしていくなかで、内に秘めたアツいところが見えてきて、
「この人の命令ならききたいな」とまで、おもわせてくれました。

ほかのだれが涙をながすところでもなく、
かれが落涙した瞬間に、ぼくもはじめてもらい泣きしてしまいました。
演じたのは、『もののけ姫』にも出演した、西村雅彦。すばらしい。

今回の音楽、いつものように久石譲作曲なのですが、
たびたびながれてくるテーマ曲が、
「あれ?これってChoro Clubの曲?」とおもってしまうような感じ。
イタリアの話もでてくるものだから、
イタリア→ヴェネツィア→『ARIA』つながりなのか?なんて。

そして名曲、荒井由実「ひこうき雲」。
歌詞の内容のリンクももちろんですが、
なんといっても、70年代最強のスタジオ・ミュージシャンチームである、
キャラメル・ママ(細野晴臣・鈴木茂・林立夫・松任谷正隆)の名演奏。
これを機に、この時代の音楽に興味をもつひとがふえてくれたら。

なかなかひとまとめに感想がかける映画では、さすがにないですね。
なにかおもいついたら、また追記するかもです。

金田治監督『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』


宇宙刑事ギャバン THE NOVEL宇宙刑事ギャバン THE NOVEL
(2012/10/05)
小林雄次

商品詳細を見る

この1か月、あたまのなかはずっとギャバンモードでした。
というのも、

・ニコニコ東映特撮CHで『宇宙刑事ギャバン』TVシリーズ配信
・『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』レンタル
・『特命戦隊ゴーバスターズ』2代目ギャバン出演
・小説版『宇宙刑事ギャバン THE NOVEL』発売

これらをひたすら消化していたため。
TVシリーズをリアルタイムでみていたわけではなく、
かすかな記憶をたどりながらでしたが、たのしいひと月でした。
その新鮮な記憶をたもった状態で、いよいよ劇場版。

キャッチコピーは「蒸着せよ、銀の魂を継ぐ者よ―」。
この「継承」というのは、TVシリーズから最新作にいたるまで、
本作をつらぬくおおきなテーマになっています。

TVシリーズでは、父・ボイサーから息子・ギャバンへ。
失踪した父の消息をおうために、地球にやってきたギャバン。
シリーズ43話「再会」では、マクーにとらわれのみとなっていた、
父ボイサーとついに再会をはたします。
しかし長年の拷問にかろうじてたえぬいてきたボイサーは、
息子とあえた安堵から緊張の糸がきれたのか、
ギャバンにみまもられながら、おだやかにいきたえたのでした。

この回は、いまおもいだしても、なみだがとまりません。
マクーの牢獄での、ことばひとつ発せられない再会の瞬間。
そしてボイサーの死の場面。
「どうしたんだい、父さん…マクーの拷問にも耐えた父さんが…」
それまでの話数のつみかさねもあって、はげしく涙腺決壊…。

ここで親子を演じた千葉真一・大葉健二コンビが、
2003年、クエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル Vol.1』で、
まさかの師弟役での共演をみせてくれるとは。
「ハゲじゃない、This is 剃ってるだけ」に爆笑でした。

閑話休題。
さて、それから30年の月日がながれ。
特務刑事となったギャバン=一条寺烈は、
『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』でふたたび地球へ。
かつて宇宙船の事故からたすけたちいさなこどもが、
いまでは立派におおきくなり、なんと海賊のリーダーにまで成長。

家族をもたず、こどもがいないギャバンにとっては、
ゴーカイレッド=マーベラスは、あるいはむすこのようにみえたかも。
かれならば、2代目ギャバンとしてふさわしいのではないか、と。
ゴーカイジャーとの一件と『THE MOVIE』とのあいだをえがいた、
小説版『THE NOVEL』ではこうあります。

(p22)
烈はふと、地球で出逢った宇宙海賊のリーダーのことを思い出した。
―彼のような勇敢な青年ならば、あるいは……。
しかし、あの青年はこれからも仲間たちと共に宇宙を冒険し、
自分の意志で戦い続けていくのだろう。
烈は時々こんなことを考える。
もしも自分に血の繋がった息子がいて、宇宙刑事を目指していたら―。


そんなおりにあらわれた、事故にあった宇宙飛行士、十文字撃。
烈にたすけられた撃は、コム長官からのさそいをうけて、
宇宙刑事になることをめざすことになります。
訓練のすえにコンバットスーツを装着できるようになった撃は、
正式な宇宙刑事ではまだないものの、ギャバンの名を継承しました。

が、まだまだ宇宙刑事としては半人前という感じ。
映画の中盤、捜査活動のミスをかさねた撃は、
コム長官の指示で、地球での捜査の任をとかれてしまいます。
後任は、初代ギャバン=烈。

ここからの、蒸着しない烈=大葉健二と、撃=石垣佑磨の、
ふたりがともにアクションをする一連のシーンが、
ぼくが個人的にいちばんおもしろかったところです。

川辺ではげしくぶつかりあうふたり。
みずからのからだでもって、ギャバンの名を継承する者に、
たいせつなことをつたえようとする烈。
全身すぶぬれになって、どんぞこから奮起しようとする撃。

「大事な人を守れなかったお前は、宇宙刑事として、
 いや、それ以前に、男として失格だ!」
「立て!その悔しさがあるなら、まだ戦える!」
「あきらめるな!そして、ためらうな!」

パンフレットより、このシーンについて、まず石垣佑磨コメント。

撃と烈が戦うシーンは、台本では「荒野」となっていたんですが、
金田監督が水辺に変更したんです。
演じる側としては辛かったですけど(苦笑)あの変更は正解でしたね。
烈という大きな存在にぶつかっていく撃の思いが、
より明確に出たと思うんです。


そして、大葉健二コメント。

宇宙刑事の仕事というのは、
失敗したら自分の命を落とすだけじゃなく、
守るべき人の命まで危険にさらしてしまう。
場合によっては、一つの星が滅ぶこともあるわけですよね。
だからこそ、肉体だけじゃなく、
精神的にも強い2代目に育て上げなくちゃいけない。
そういう思いを込めて演じました。
自分の壁を破らなければ前へ進めないときがありますが、
この映画を観て「俺もがんばるぞ」というふうに思ってもらえれば、
それがいちばんうれしいです。


ボイサーからギャバン=一条寺烈へ、そして十文字撃へ。
千葉真一から大葉健二へ、そして石垣佑磨へ。
この映画にいたるまでの30年、それ以上の歴史をおもうと、
この継承シーンでグッとあついものがこみあげてきます。

 悲しみの重さに うつむく夜は
 瞳を上げるのさ 銀河の彼方へ
 立ちどまるな 弱音をはくな
 夢をあきらめるな

 (TVシリーズエンディング曲「星空のメッセージ」)

コマーシャルにもつかわれていた、
ずぶぬれの顔で、それでもつよい意志をやどした瞳で、
キッとまえをみすえる撃のカットは、
まさにこの曲を体現した場面だといえます。

で、その直後に魔空空間にひきずりこまれたふたりは、
まよいこんださきざきで、なにもかもにおそわれつづけるという、
TVシリーズでもおなじみの不条理展開に突入します。

ヒーローショーにとびだして、
オネーチャンの「がんばってー♡」にピースでかえす撃。
「なにやってんだ!」とツッコむ烈…ってアンタもピースするんかい!
「どっちに逃げるんですか!」「お前なんとかしろ!」

はげしいアクションの連発のすえ、どうにか地上にもどってきて、
「どうだ魔空空間は。すごいだろう」
「ええ…先輩も大丈夫ですか?」
「ああ、30年ぶりだ」

なにメタなアドリブいれてんですか!(爆笑)
さっきまでの熱血落涙の感動をかえせー!
そのくらいのいきおいで、生身のふたりがはしりまわります。
この、蒸着前のアツいアクションが、ギャバンなのですよね。

きたえぬかれた体技で魅せる二枚目のかおと、
オチャメなギャグやアドリブをかます三枚目のかお。
TVシリーズで、大葉健二さんの個性がいかされたこの特徴は、
2代目・石垣佑磨さんにも、しっかり継承されているようです。

というわけで、涙ありわらいありの、たいへん濃い83分でした。
劇場にきていたちびっこたちも、たのしんでいたようでなにより。
(おおきなともだちについては、いわずもがな)

さて、ここからはぼくの妄想ですが、
この映画は、東映=テレビ朝日=バンダイによる、
メタルヒーローシリーズの新規TVシリーズ化をみすえての、
観測実験だったのではないか…と。

『ゴーカイジャーVSギャバン』で30年ぶりにギャバンを復活させ、
「まだ集客力がある、視聴率がとれる」とみたうえで、
今回、単独名義の劇場作品にうってでた。
ゆくゆくは、今回は顔見世的な出演だった後輩の宇宙刑事、
シャリバン・シャイダーらもふくめて、
ふたたびTVシリーズとして起用しようというハラではないのか…?

や、あくまでもぼくの妄想です。
でも、パンフにある金田治監督のこういうことばをきくと…ね。

宇宙刑事シリーズっていうのは、
まだまだ可能性を広げていける作品だから。
今回とはまた違った形で、
もっともっと面白いホンが作れると思うんだ。
一回だけの復活に終わらず、
新しい展開につながってくれれば、とてもうれしいです。


どういうかたちになるのかわかりませんが、
いつかくるそのときをたのしみにまつことにしましょう。
こころのなかで、この曲をくりかえしながら。

 若さ 若さってなんだ ふりむかないことさ
 愛ってなんだ ためらわないことさ

 (TVシリーズオープニング曲「宇宙刑事ギャバン」)

ジョン・デ・ベロ監督『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』


アタック・オブ・ザ・キラー・トマト スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]アタック・オブ・ザ・キラー・トマト スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
(2007/01/24)
デヴィッド・ミラー、ジョージ・ウィルソン 他

商品詳細を見る

まさかニコニコでこの映画がみられる日がくるとは。
深夜に放送中の「Z級映画特集―巨大生物&変なモンスター」
その第1弾となったのが本作でした。
タイムシフト視聴でひさびさにみましたが、
視聴者のコメントがはいると、さらにわらいが増幅されますね。

あらすじは「トマトが人間を襲う」以上。
これで83分もたせるだけでも、すごいもんです。

この手のおバカ映画に興味があるならば、
ぜひこれはDVDでみていただきたい。
2003年、製作25周年を記念してDVDがつくられたのですが、
監督らによるオーディオ・コメンタリーあり、
スタッフ・キャストインタビューによる当時の裏話あり、
劇中歌をうたってみようのコーナー(歌詞字幕つき)ありと、
特典がもりだくさん。

おどろくのは、劇中のヘリ墜落シーンが、演出ではなく、
ホンモノの事故だったということ。
さいわい、のっていた役者たちは無事だったのですが、
ここでカメラマンが撮影をとめず、まわしつづけていたことで、
映画のワンシーンとして利用することになったのだとか。

ほかにもみどころ(という名のツッコミポイント)はおおいのですが、
ここでとりあげたいのは「マインドメーカー社」のパート。
トマト危機による市民の混乱をさけたいということで、
大統領報道官リチャードソンは、大統領を再選させた実績をもつ、
広告代理店のマインドメーカー社をたずねます。
広告宣伝によって、この混乱をおさめようというのです。
(というより、業界から「トマトがうれなくなるのはこまる」と、
 圧力がはたらいた結果なのかも…?)

さて、そこででてきたテッド・スワン社長が、えらく濃いキャラで。
(この映画のキャラはほぼ全員そうだけども…)
報道官になにかいわせるスキもあたえずに、
じぶんのプランを速射砲のごとくかたりはじめます。

「まず主婦を説得するんだ。
 ペットを食べたトマトは危険じゃないってね。
 ノー・プロブレム!
 数千人の行方不明者に関しては、
 建国200年記念のお祝いにフィラデルフィアに向かっていると言う。
 ノー・プロブレム!
 大統領の意向に従って、すべて秘密裏に行う。
 それもノー・プロブレム!
 でも、2億人の国民に対して、
 この災いが実は天の恵みだと説得する事。これは大変だ」


なーんかどっかできいたような。それもつい最近。
「本当にそんなことできるのか?」といぶかしがる報道官に対し、
社長はさらにたたみかけます。歌で。


商品はなぜ売れるのか
品物よりも見てくれが大切
庶民は重大な決定を下すのが苦手
奴らは我々なしじゃ何も決められない

赤い箱に青い箱 青の中の赤い箱 クーポン付き
売るのに強引もソフトもない
毎日数百万ドルが費やされる
マインドメーカーにお任せあれ!


この社長の歌が、またなんともうまいこと。プロのかたですか?
それはともかく、ここはかなり重要なことを言って…
もとい、うたっていますよね。
商品そのものの出来はたいした問題じゃない。
うれるかどうかは、われわれがつくる広告でもって、
ひとのこころをあやつれるか(Mind Maker)どうかにかかっていると。

じぶんのアタマでかんがえて、ものごとをきめたつもりでも、
そこで広告のちからがはたらいていないと、ほんとうにいえるのか。
「みんなが言ってるから」「みんなが買ってるから」
そういう理由できめていることも、けっこうあるのでは?

さて数日後、社長がプレゼンした企画は、こういうものでした。
「これこそマインドメーカーの広告術!」
まずは新聞雑誌用の全面広告。

『トマト 対 原発』
1. トマトは放射性廃棄物を出さない
2. トマトを作る費用は原発より安い
3. トマトは原発よりおいしい
4. トマトは爆発しない


つづきまして、ラジオコマーシャル。

「巨大なトマトで巨大なピザを」
「♪悲しみから 寂しさから トマトは君を救う」
「昨年は、交通事故、成人病、自然災害の方が、
 トマトより多くの人を死に至らせました」


もちろんこれはギャグシーン、わらいをとるところなのですが、
いまこれをすなおにわらうことができないのは、
こんなコメディのようなことが、現実におこっているからでしょう。

どれほど「んなわきゃない」というスローガンでも、
100回くりかえせばホントのことになるのです。
アドルフ・ヒトラー『わが闘争(上)』(角川文庫版)より。

(p260)
大衆の受容能力は非常に限られており、
理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
この事実からすべて効果的な宣伝は、
重点をうんと制限して、
そしてこれをスローガンのように利用し、
そのことばによって、
目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように
継続的に行わなければならない。


(p266)
けれども宣伝は、
鈍感な人々に間断なく興味ある変化を供給してやることではなく、
確信させるため、しかも大衆に確信させるためのものである。
しかしこれは、大衆の鈍重さのために、
一つのことについて知識をもとうという気になるまでに、
いつも一定の時間を要する。
最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、
けっきょく覚えさせることができるのである。


と、むずかしい方向にいかなくても、
とにかくおもしろい、わらいころげつづけられる映画です。
気分がめいったときは、このオープニング曲をうたえば、
きっとカラ元気がでます。
♪アタァ〜ックオブザキラートメィ〜トォ〜!

大友啓史監督『るろうに剣心』


るろうに剣心 ─銀幕草紙変─ (JUMP j BOOKS)るろうに剣心 ─銀幕草紙変─ (JUMP j BOOKS)
(2012/09/04)
和月 伸宏、黒碕 薫 他

商品詳細を見る

アクション!アクション!とにかくアクション!
谷垣健治アクション監督が参加ときいてみてきましたが、
いやもう、演者の体技にホレボレしっぱなしでした。
実写映画化の第一報をきいたときは「え〜?」だったのですが、
CG一切なしで、これだけのものを見せてくれたのはすごい。

ストーリーは、原作初期のものをリミックスした感じ。
はなしのすじをおうよりも、バトルごとにみていきましょうか。

【鳥羽・伏見の戦い】

薩摩・長州軍と幕府軍がひしめきあうなか、
俊足で新選組隊士たちをきりすててゆく、人斬り抜刀斎。
この時点でもうアクションがはやくて、目がおいつかない。
「これはアクション映画だ!」宣言というか。

【刃衛、警察署を急襲】

保護をもとめてきた恵(蒼井優)をつれもどすため、
警官たちを容赦なくころしまくる鵜堂刃衛(吉川晃司)。
「心の一方」(実在するらしい!)であいてをかなしばりにし、
くびすじにあてた太刀をスーッと…。

とにもかくにも、吉川晃司の筋骨隆々の体躯のすばらしさ!
近年のCOMPLEXやソロ・ライブの映像をみると、
あの黒装束のしたにあるガッシリした筋肉がよくわかります。
東京ドームライブで入場したときは、あまりのオーラに、
「これは刃衛というよりラオウだろ…」と感嘆したものです。

【神谷道場で大立ち回り】

神谷道場を手にいれ(アヘンの貿易港をつくるため)ようと、
武田観柳(香川照之)の護衛たちが道場をおそう。
そこへやってきた剣心(佐藤健)が、
正体をあかし、ついにその実力の片鱗をみせつける。

いきなり逆刃刀をぬくのでなく、まず体技だけで大勢を圧倒。
どこまで本人で、どこからスタントマンなのかわかりませんが、
それにしてもこのうごきのキレっぷり。

【剣心と左之助の喧嘩】

あの斬馬刀って、実際どれくらいのおもさなんですかね?
みためもデカいし、それなりにおもいはず。
左之助(青木崇高)もコシをいれてぶんまわしてました。

そういえば左之助は、『一命』では沢瀉彦九郎の役でした。
求女にイヤミったらしく冷酷に「もっと腹を斬れ」というあの役。
で、明治の世になったら「てやんでいべらぼうめ」になっちゃって。
いやあ、同一人物とはおもえません。役者ってすごい。

【追憶編】

幕末、深夜の京都。
京都見廻組の清里は、抜刀斎により仲間ともども暗殺されてしまう。
翌日、現場にもどった抜刀斎がみたのは、
清里の亡骸にうずくまり号泣する許嫁、雪代巴のすがただった…。

まさかこれをいれてくるとは!
本編の尺がけっこうなながさになったのは、これも原因でしょうが、
「人斬り抜刀斎」の罪を明確にするためには必要だったのでしょう。

未来ある若者のいのちを、じぶんの手でうばったこと。
愛するものをなくした女を、かなしみとにくしみにおとしたこと。
じぶんが死ぬだけでは、刀をすてるだけでは、あがなえないほどの罪。

まてよ、このエピソードをいれてきたってことは、
将来「追憶編」ないし「人誅編」の実写化もみすえている…と?

【2人対250人】

剣心&左之助が観柳邸にのりこむと、
まちうけていたのは観柳の私兵団250人。
正直、あまりのハイスピードに、なにがおこったのか記憶があいまい。
なにせこのあとのバトルのほうが、強烈な印象だったもので。

【左之助対番神】

ここででました、人誅編の格闘バカ、戌亥番神。
演じるのは、ホンモノの(もと)格闘家、須藤元気。
さすが、かまえが堂にいってます。

たがいにひたすら、なぐる、ける、どつく、食器をなげる。
同時進行で展開する、剣心対外印のバトルと対照的になるように、
こちらはトコトンどろくさく。

たたかいの場は、せまくるしい台所へ。
全力をつくし、双方ともに疲労困憊になってきたころ。

左「ま、待った!ちょっと待った!」
番「なにを待つんだ」
左「(そばにあった肉を食べて)お前も食うか?(投げ渡す)」
番「オレは菜食主義者だ。可哀想に…」
左「(酒をのみ)じゃあこれは?」
番「あ、それはもらう」

ぼくのなかでは、香川照之以上にわらいをかっさらっていったのが、
このふたりのやりとりでした。
ギャグであると同時に、おたがい善も悪もない、
ただつよいあいてとたたかいたいという欲求につきうごかされる、
すばらしき筋肉バカっぷりをみせてくれました(ほめてます)。

【剣心対外印】

人誅編からもうひとり、「からくりあるてぃすと」の外印。
…あれっ?中のひとがジジイじゃないよイケメン(綾野剛)だよ?
仮面のしたに、おおきな傷をおった素顔をかくし、
新時代にはたらく場所がないから、裏稼業におちていたと。

鋼線のギミックがあるわ、拳銃を乱射するわ、
そして目にもとまらぬスピードの剣さばきだわ、
つぎからつぎへとアクションのオンパレード。いやはやたのしい。

外印といい刃衛といい、
「死ぬべき場所で死ねなかった」サムライの悲哀がみえますね。
勝負がついたあとの外印の咆哮は、
やぶれたくやしさよりも、また死ねなかったことへの無念かな。

【剣心・左之助・斎藤対ガトリングガン】

「ヒャッホォォォー!たまんねーなオイィッッ!」
予告編でも印象的だった、ガトリングガンをぶっぱなす観柳。
基本、全体的に観柳=香川照之は、やりすぎです。
でもそのエキセントリックさが、ここではすばらしくマッチしてます。

「オレに跪け。…つーか脱げ!オマエら全部脱げ!」
この「脱げ」は香川さんのアドリブだそうで。
で、剣心=佐藤健さんもアドリブで袴をぬごうと…ウホッ。

牙突のかまえでアップになる斎藤(江口洋介)は、
たしかにカッコよかった。
斎藤のアクションは、次作でもっとふえる…のか?(あるのか?)

【剣心対刃衛】

展開はほぼ原作どおり。
くりかえしになりますが、やはり吉川晃司!
刀をせなかでもちかえる「背車刀」は「おおっ!」とうなりました。

さいごになったけど、剣心=佐藤健の体さばきも、みごとでした。
そういえば『仮面ライダー電王』ではブレイクダンスもしていたし、
もともとアクションの素養はあったのでしょうね。

「殺してやるから、かかってこい」や、攻撃をうけた際のポーズも、
絵になっていたとおもいます。
そして大技の『双龍閃』。おお、そうだったこれだった。

じつは『龍馬伝』をあまりみていないので、
大友監督のこういう映像にふれるのは、ほぼはじめてなのですが、
よくここまで「男の子の映画」にふみきってくれたなあと。
そしてこれら大量のアクションをうみだした、谷垣アクション監督。
おふたりに最敬礼。

あ、それから。
いちばん原作からぬけでてきた感がつよかったのは、
なんといっても浦村署長(斉藤洋介)でした。

蜷川実花監督『ヘルタースケルター』


ヘルタースケルター 映画・原作 公式ガイドブック (Feelコミックス)ヘルタースケルター 映画・原作 公式ガイドブック (Feelコミックス)
(2012/07/06)
岡崎京子、タイガー・リリィ パートナーズ 他

商品詳細を見る

朝日新聞7月14日|沢尻エリカさん「魂削った」新作映画で舞台あいさつ

あ、芸能活動復帰したんですね。
体調がもどったようでなにより。
「りりこ全部が自分とシンクロしていた」との言、さもありなん。
これほどの役柄を演じてしまったら、
もうほかのドラマで演技をしても、ものたりなくなってしまうのでは。

冒頭、整形手術をおえ全身の包帯をといていく、りりこ(沢尻エリカ)。
いきなりのバストトップ。
ヌードを期待する観客(マスコミ?)へのじらしもへったくれもなく。
「この物語の本質はそういうことじゃない」ということなのか。

つづけざまに、楽屋にきた南部(窪塚洋介)とのセックス。
りりこを鏡にむかわせ、バックから挿入し、みみもとで
「きみはぼくだけのものだ…ぼくだけの…」とささやく南部。
腰をふるオトコを、りりこはあえぎごえをだしながらも、
ひややかな、さめた目でみています。

そこなしのくらやみにむかって、
螺旋階段をひたすらおちつづけていくじぶん自身を、
そとがわから俯瞰的にながめているような。

いわゆる、性的に過激なシーンというのは、
本作ではそこかしこにでてきます。
楽屋のシーンの直後に、映画のプロデューサー(哀川翔)と枕営業。
(正常位中、オトコのせなかにまわした腕時計で時間をチェック…)
マネージャー羽田(寺島しのぶ)の彼氏(綾野剛)を誘惑し、
かのじょのめのまえでセックス。などなど。

映画評では「女優として一皮むけた」となるのでしょうが、
案外、演者のがわとしては、そのへんはどうでもいいことかも。
パンフでの沢尻エリカインタビュー。

「きっと大変な現場になるだろうという覚悟はしていました。
 それは決して重いシーンが多いことではなく、
 ましてや濡れ場で脱ぐ脱がないということでもありません。
 自分のお芝居がどこまで振り切れて、極限まで出せるかということ」


全身整形のパーフェクトボディを維持するために、
りりこは美容クリニックから処方されたクスリをのみつづけます。
しかし、たえず大衆によって消費されつづけるりりこは、
どれだけクスリをのんでも、どれだけセックスをしても、
みたされることがありません。からだの外側も内側も。
だから、さらに過激なことに手をだす。そしてまたさらに。
グルグルころがりおちていく、ヘルタースケルター。

映画のキャッチコピーは「見たいものを、見せてあげる」。
りりこ=大衆の欲望を託された依代、だとするならば、
かのじょが見たいものがすなわち、ぼくたちが見たいもの。
かのじょがしたいことがすなわち、ぼくたちがしたいこと。

かおもからだもキレイになりたい。
有名になってチヤホヤされたい。
金もちのイケメンとセックスしたい。
ドラッグできもちよくなりたい。
気にいらないヤツはイタイ目にあわせてやりたい。

そうした大衆の身勝手な欲望を、
テレビで、雑誌で、スクリーンで、あるいはそのうらがわで、
じぶんがかわりにはたしているのだと。
原作ではこういうセリフ/モノローグが。

(p119)
恋に恋するのと人を愛することってちがうと思うしィ〜
(ホラ こういうのって聞きたいでしょ?)
恋を失うことも 大切な自分の一部をつくると思うんです
(これはあたしが言ってんじゃない あんた達が言わせてんのよ)


りりこが劇中でみせるさまざまな言動が、
どれも魅惑的でありながら、どこかしっくりこないような、
かのじょの本心・本意ではない感じをうけるのは、そのためでしょうか。
それは、沢尻エリカの演技がヘタという意味ではまったくなく、
むしろ大衆の欲望を、みごとに憑依させているからこそ、
それにかくれて、かのじょ自身の本心はうつしだされないというか。

メディアにのるときのすがたのみならず、
たとえばセックスしているときであったり、
スタッフにあたりちらしたり、なきわめいたりするときでさえも、
「なにものかが、かのじょにそうさせている」感をうけます。
「こういうシーンでは、こうあってほしい」というような。

唯一、りりこの本心らしきものにふれられそうだったのが、
酔って帰宅し、部屋をマネージャー羽田がかたづけているとき、
鏡台のまえにすわって、ポツリポツリとつぶやきはじめるシーン。

「羽田ちゃん、好きな人いるの?」
「え?いやあ…」
「いるんだ…いいなあ…
 あたしには好きな人も愛してくれる人もいやしない」
「なに言ってるんですか、みんなりりこさんに夢中ですよ。
 何百人も、何千人も、何万人も」
「(額のアザをみて)あたしが売りものにならなくなったら、
 みんなあたしを捨てて、離れていってしまうわ…」

ここで羽田は「そんなことないですよ〜」とあかるくかえします。
じぶんがこの業界にはいったのは、
窓辺でタバコをすうりりこの姿が、絵のように美しかったからだと。
もし、ここでの返事がちがうものだったなら。
この一瞬のすれちがいが、
ヘルタースケルターのいきおいをグッと加速させてしまったのでは。

そんなりりこたちのシッチャカメッチャカな展開にもかかわらず、
大衆は、それすらも消費の対象としてしゃぶりつくし、
そしてまたつぎの依代をもとめて、都市のなかをさまよいつづけます。
映画の最初も最後も、都市を生きる女子高生たちは、
「アレいいよね〜」「アレほしい〜」「アレ超ヤバくない〜」と。

映画がおわったとき、うしろの座席にすわっていた女子グループが、
最初に発した感想は「ヤバいよね〜」でした。
ぼくはまだ映画のなかにいたのでしょうか。
それとも最初から、ぼくは現実にいきてなどいなかったのでしょうか。

ああ、それにつけてもエンディング。
なぜにビートルズ「ヘルタースケルター」じゃなかったのか!
イヤ、本家の音源をつかうのが99%ムリなのはわかっています。
せめて『アイ・アム・サム』みたいに、カバー版にするとか。
あのラストシーンで、あの爆音ギターがきてほしかったのに。
2012年最大の映画ならぬ事件の、ただひとつの瑕疵。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。