津田大介『情報の呼吸法』
情報の呼吸法 (アイデアインク) (2012/01/10) 津田 大介 商品詳細を見る |
全160ページほどの新書サイズ。
びっくりするほど、スルスルとあたまにはいっていき、パッとよみおえました。
というのも、
「これはメルマガにかいていたはず」
「あの雑誌に寄稿した、あの文章のことだな」
「たしかUSTREAMかニコ生でも、こういうことをしゃべっていたなあ」
と、デジャヴ感覚をもって、よみすすめることができたためです。
たとえば、じぶんのかんがえがかわることをおそれない、ということに関して、
坂本龍一教授についてふれた以下の文章。
(p142〜143)
2005年に「CDがうざい。早く捨てたい」と発言していた坂本龍一さんが、
2008年には「CDが完全に消えるとは思わない。
人間には、触ることのできるものを持っておきた欲望がある。
ぼくもネット経由で大量にダウンロードする一方、
手元に残したい曲はレコードやCDで買う」(『朝日新聞』2008年12月のインタビュー)
と、一見正反対に見えることを言っているのも注目に値します。
このはなしは、2009年4月に発売された、
『ユリイカ 総特集 坂本龍一』において津田さんが寄稿した、
「坂本龍一の柔らかな転回」において、かたられていたことです。
(この稿はその後、メルマガ『津田大介の「メディアの現場」』に再録されました)
(『ユリイカ〜』p93)
05年に「CDがうざい。早く捨てたい」と言っていた彼が、
今「CDが完全に消えるとは思わない。
人間には、触ることのできるものを持っておきた欲望がある。
ぼくもネット経由で大量にダウンロードする一方、
手元に残したい曲はレコードやCDで買う」(08年12月、朝日新聞インタビュー)
と正反対に見えることを言っていることにも
彼にしかわからない「理由」があるのだろう。
このことを、
「なんだよ、むかしの文章のやきなおしかよ。才能が涸渇したか」ととるか、
「そうか、あの文章はこういうことをいいたかったわけだ」ととるか。
ぼくは後者です。
これまでじぶんがみてきた津田さんの、こしかたゆくすえをたどっていくことで、
かれの主張したいことが一本の線になって、くっきりとみえてくるという、
おもしろい構成の本になっています。
まずは「ツイッターってなに?はやってるの?」という初心者むけ。
情報をつかうとはどういうことなのか、基本のきからしることができます。
いまソーシャルメディアをつかっているじぶんがよむと、
基本的なかんがえのみならず、実際につかえるこまかなアイデアがおもしろい。
(p91)
実際、ツイッターのリツイートでも、
語尾を「だよ」から「だね」に少し変えるだけで、リツイートの数が変わったりする。
ちょっとしたニュアンスで伝えられる人が大きく変わるということを
エゴサーチで知ることができるわけです。
うえから目線にとられそうなところを、共感をよぶようにかえてみる。
たった1文字だけで劇的な変化がおこるものなのですね。
(p99)
あとは自分が面白いと信じることを継続することです。
まずは1年間続けてから考えてみてください。
我慢して続ければ、それが情報を「棚卸し」する際の血肉になっていきますし、
結果的に自分の強みにもなり
「このジャンルの情報発信を続けるんだ」という自負も形成されます。
おもえば2011年は、じぶんの生活がおおきくかわった年になりました。
ツイッターを本格的にはじめ、デモや講演会の実況をはじめ、
(信用担保の意味もふくめて)ブログをはじめ、IWJ中継市民をはじめ。
「継続は力なり」とはよくいったもので、
つたない文章力ですが、1年前とくらべてそれなりに効果はあったかもしれません。
で、このさきどういう方向にむかっていけばいいのか。
(p105)
これから求められるのは、
情報と情報を結びつける、この人とあの人を結びつける、もしくは、
こういう情報が眠っているから、あの人に話をつけると早くなるだろうなという
有機的なつながりを見つけていく方法論だと思います。
そう、そこなんです。
ぼくひとりの知識や影響力なんて、たかがしれています。
でも、すくなくとも、ぼくがうごきやすい愛媛県内においても、
(とくに3.11後に)おもしろい、興味ぶかい行動をしているひとは、
たくさんいるはずなんですよね。
そういうひとたちのこえをひろいたい。
というよりも、そのひとたちに、ぼくを利用してほしい、というか。
もちろん、ただまっているだけでは、なにもおこらないのだから、
こちらからどんどん、いろんな情報をシェアしていく必要がありますね。
リアクションの有無にかかわらず、そうすることが、つぎにつながると信じて。
(p57)
人間は「物事が動き出す瞬間に居合わせる」ことに
ものすごく興奮する生き物なんだと思います。
これはずっとソーシャルメディアを見ていて自分が気づいたことでもあります。
いまこの場所に自分はいる、
いまこのイベントに自分はいる、
いまこのスレッドに自分はいる……。
いましかあり得ない「伝説」がここで作られようとしている、
その瞬間に立ち会うことに興奮するのです。
「ながいものにはまかれたい」気質な、愛媛県人のぼくですが、
まかれてばかりじゃおもしろくありません。
厳然として存在する「ながいもの」がそこに存在することを、
ジワジワとまわりにみえるようにするような、
ソーシャルメディアでもって、そういううごきをしてみたいものです。
これからのじぶんのありかたに、おそらくおおきな影響をあたえるであろう、
『ソーシャルメディアの夜明け』そして『情報の呼吸法』。
としあけ早々に、ずいぶん濃い2冊をよんだものです。
またよみかえしてみます。